Finally Dispatch

悩める淑女のための特別列車、ミラクル☆トレイン。 その列車から、女性が晴れやかな表情で降りていった。 午後4時45分。 その日の『業務』は、全て完了した。

「彼女、いい笑顔だったな」

両国が、いつになく穏やかな口調で言った。 その言葉に、メンバー全員がうなずく。 乗客の悩みが解決し、とびきりの笑顔で下車していく。 それは彼らにとって、もっとも嬉しい瞬間である。

その、幸せだがほんのりと寂しさの伴う空気を打ち破ったのは、新宿だった。

「さーてとっ」

突然の声に、全員一斉に新宿の方を見た。 新宿はそれを気にせず、大きく伸びをする。

「今日の『お仕事』が終わりなら、俺は戻らせてもらうぜ」

都庁は怪訝そうな顔をした。

「何だ、用事でもあるのか?」

「ああ。ちょっと後回しにしてきちまったことがあって、な」

そう言って、ちらりと六本木の方を見る。 いきなり視線を自分に向けられて、六本木は慌てて下を向いた。 都庁はさらに不思議そうな顔になる。

「まぁまぁ。運行時間以外の行動は自由なんですから、いいじゃありませんか」

月島が、何もかも心得たような笑顔で、都庁をなだめた。

「……遅いなぁ」

六本木は、誰に向けるともなくつぶやいた。 彼は、自分の部屋のソファに腰掛けて、先ほどからずっとその相手を待っていた。 六本木駅に着いた、というメールが来たのがおよそ30分前。 そこから彼の部屋までは、15分もかからずに着く。 連絡をするかどうか迷いながら、彼はぼんやりと無為な時間を過ごしていた。

六本木は何度目かの浅いため息をついて、自分の制服のクロスタイを留めているピンを外した。 タイを解いて目の前のテーブルに置くついでに、隣に置かれた箱に手を伸ばした。 だが、それは空振りに終わる。

「あ……」

手の先には、チョコレートの入った茶色い箱。 いや、「入っていた」箱。 口寂しさからか、ずいぶんハイペースで食べていたらしい。 空になった箱を眺めながら、六本木はソファに身を沈めた。 そのまま上体を横に倒す。 テーブルの上の彼の携帯電話は、相変わらず無反応だ。

六本木は、ゆっくりと目を閉じた。 すると、じわじわと、数時間前の感情がぶり返してくる。 背中がむずむずするような、甘い感覚。

――後で、って言ったのは、貴方じゃないですか。

六本木は、相手が聞いたら色々な意味で困惑しそうな言葉を口にした。

「……新宿さんの、バカ……」

そのまま眠ってしまっていたらしい。 六本木は、揺さぶられるような感覚と、人の声で目を覚ました。

「……ぎ……おい……」

「ん……?」

張り付いている両のまぶたを無理やり引き離すと、至近距離で誰かが覗き込んでいるのが見えた。 その声にも顔にも、覚えがある。

「六本木、起きろって」

「しん、じゅく、さん……?」

「ごめん、遅くなった」

新宿はそう言うと、六本木の頬に優しくキスを落とした。

六本木はソファに座りなおし、新宿もその隣の席に腰を下ろす。 二人掛けとはいえ、それほど幅の広くないインテリアソファである。 男性が二人で座ると、互いの距離は必然的に近くなる。

新宿は一度自分の部屋で着替えてきたのか、私服姿だ。 切れ込みの深いV字の白いセーターが、よく似合っている。 六本木は、少し拗ねたように文句を言った。

「もう、待ちぼうけだったんですよ」

「悪い。迷子の小さなレディをお送りしてたんだ」

「迷子……?」

新宿は六本木をなだめるように、彼が遅れた理由を話し出した。

新宿が六本木駅でメールを送り、地上出口へ向かう途中のことだった。 階段の踊り場で、年端もいかない少女がひどく不安げな表情で、あたりを見回していた。

新宿は迷うことなく、その少女に声を掛けた。

「こんにちは、子猫ちゃん。……もしかして、迷子かな?」

少女は一瞬驚き、そして次に泣き出しそうな表情に変わった。 こくこくと大きくうなずく少女の頭を撫でて落ち着かせながら、新宿は心の中で六本木に詫びた。

(……ごめん、遅れそうだ)

その後、新宿は少女を駅員室へ連れて行った。 そして彼女の親が現れるまで側についていてやった――というか、しがみつかれていたらしい。

おかげでケータイを取り出すこともできなかったよ、と新宿は肩をすくめた。 彼の話が終わる頃には、ささくれていた六本木の気持ちは、すっかり暖かいもので満たされていた。

「……優しいんですね」

「ま、お前を待ちぼうけさせちまったけど」

六本木は、いいんです、と首を振る。 新宿は、普段はノリが軽く、自己中心的に見えるところがある。 だが、本質は誰よりも他者への優しさに溢れていることを、彼は知っていた。

ただし――

「……でも、みんなに優しいから……たまに不安になります」

六本木はぽつりとそう言ってから、ハッとした表情で口をつぐんだ。 ひどくうろたえて、先ほどの言葉を否定する。

「な、何でもありません……っ」

だが、新宿がそれを見逃すはずもなかった。 ただでさえ近い距離をさらに近づけて、六本木の耳元で尋ねる。

「俺が優しいから、何だって?」

六本木は、必死にその体を押し戻す。

「聞かなかったことにしてくださいっ!」

「それは……無理」

新宿はぴしゃりと言い放つと、六本木の肩に手をかけ、さらに距離を詰めた。

互いの唇が触れ合った。 その柔らかい感触を確認する間も無く、深いフェイズに移行されていく。

「ん……んんっ……」

薄く開いた唇の隙間から、新宿の舌が差し込まれる。 口の中に異物を迎え入れる感覚に、六本木は一瞬身をすくめた。 だが、その緊張はやがて、甘く溶けていく。

「はぁっ……は……」

唇が離されると、こらえていた息が一気に漏れる。 行為によってもたらされる快感と、気恥ずかしさから、六本木の頬は上気していた。

「確かに俺は優しいけど……」

新宿が自賛しながら、笑いかけた。

「お前には特別優しいつもりだったんだけどな。ちゃんと伝わってなかったか……」

そう言うと新宿は、六本木の制服のベストに手をかけた。 器用な手つきで、上からひとつずつボタンを外していく。

「じゃあ、逆転の発想で、いっそいじめられてみる?」

冗談とも本気ともとれることを言いながら、上目遣いで六本木を覗き込む。 その藤色の瞳は、余裕に満ちた光をたたえながら、ほんの少しだけ揺らいでいる。

「……え、それは……」

この状況で行われる「いじめ」など、ひとつしかない。 六本木は、少しだけその光景を想像した。 そして慌てて、首を振る。

「それは、勘弁してください……」

六本木が動揺している間も、新宿の手はボタンを弾いていく。 やがて、シャツの前が完全に開けられた。 露になった素肌に、新宿は自分の手を這わせた。

「んっ……」

指先を動かされると、その甘い刺激に、六本木は思わず目をつむってしまう。

「お子様だな、お前は」

新宿は、からかうように耳打ちする。 それに対して、六本木は少しむくれて反論した。

「……子供にこんなことしたら、犯罪ですよ」

だが、それもあっさりとかわされてしまう。

「じゃあ俺、犯罪者でいいよ」

くすくすと笑いながら、新宿は素肌に口付けた。

六本木は新宿の肩に手をかけた。 満足に力の入らない身体で、必死に押し返そうとする。

「……なら……それなら、犯罪者さんにひとつ要求があるんですけど」

「はい、何でしょう?」

新宿がノリよく返事をする。

「……ここ、狭いんで、あっちに移動させてもらえません?」

そう言って、六本木は目線で寝室の方を指す。 だが、新宿はすぐには首を縦に振らない。

「うーん。さて、どうするかな……」

「……っ」

六本木はそっと、相手の目元に唇を寄せた。 そして、かすれた声でつぶやいた。

「……もう、これ以上……待たせないでください」

「ん……」

六本木が身をよじった。 少しひんやりとしたシーツが、火のついた肌に心地よい。 だが、すぐにまた熱の中に引き戻されてしまう。

「はいはい、逃げないの」

体をずらそうとする六本木を、新宿が組み敷き直した。 冷まされた肌にまた口付けが落とされ、再び熱を帯びていく。 互いの素肌が擦れて、くすぐったさと同時に、気持ちよさがじんわりと広がる。 その感覚に、六本木は泣きそうな顔で相手の名を呼んだ。

「新、宿さん……っ」

「おいおい。そんな顔されると、俺がいじめてるみたいじゃないか」

新宿が六本木を上から覗き込み、その頭を優しく撫でた。

いつも少し内側に巻いている彼の髪は、今はシーツの上で奔放な曲線を描いている。 六本木は涙を目のふちにためて、可愛らしい抗議をした。

「……十分、いじめてると思います……っ」

「えー? こんなに可愛がってあげてんのに?」

そう言いながら、六本木の潤んでいる目元を、そっとなぞってやる。 基本的に、彼は誰かが泣いているのを見るのが嫌なのだ。 たとえそれが純粋な快感から来るものであっても、それでも泣いて欲しくはないと思う。

そんな葛藤を見透かしたのか、六本木は小さく笑って、頬を撫でている新宿の手を取った。 指を絡め、愛おしそうに唇を寄せる。

「……貴方に、犯罪者は無理ですね。……詰めが甘い」

「そうらしい。むしろ……お前の方が向いてそうだ」

誘うようなその仕草に煽られた新宿は、思わずそんなことを口にした。 だが、その何気ない一言に対して、返ってきたのは予想外の答えだった。

「……ええ、僕はもう犯罪者ですから」

「ん?」

「不正アクセス……コンピュータシステムに侵入するの、あれ、犯罪なんですよ」

六本木は、ちょっと困ったような顔を向けた。

「ふぅん……」

新宿は少し考えてから、さほど興味も無さそうに返答した。 そして、覆いかぶさっていた上半身を起こした。 少しの間、六本木の視界から新宿の姿が消え、代わりに、とぷん、と水の揺れる音がした。

「……ま、俺たち、法律の適用範囲から漏れてるだろ」

そう言うのとほぼ同じタイミングで、新宿の指が六本木の内腿に這わされた。 指だけではなく、適度な粘性を持った液体が皮膚をつたう感触。

「……んっ……」

六本木の細身の身体が、ぴくりと震えた。

新宿の長い指がゆるやかに動かされ、後ろの孔へとあてがわれた。 入り口を擦るその刺激に、六本木の声に甘い息が混じり始める。

「……そりゃ、『駅』、ですからね……」

だが、快楽に流されかける自分を押しとどめようとするかのように、その発言はひどく冷静だ。 その必死の抵抗が面白いのか、新宿はなおも話題を引っ張った。

「だろ? だから、気にすることないって」

言いながら、指を中に押し入れる。

「ん、ふぁ……っ」

さすがにこらえきれなくなった喘ぎ声が、六本木の口から漏れる。 新宿は満足そうに目を細め、差し入れている指を動かし始めた。

「……っ、あ……た、たしかに……っ」

「喘ぐか話すかどっちかにしろよ」

新宿は、指をもう一本差し入れた。 口では『どっちか』と選択肢を与えているが、その行為は『喘ぐ』ことを要求している。 そしてその要求に、六本木の身体は素直に従ってしまう。

「……や、そこ……ふあぁ……っ」

自分の口から出ている声が、まるで自分のものではないようで、六本木は軽く眩暈を覚えた。 羞恥に耳まで赤くなっているのが、自分でもはっきりと分かった。 意識がだんだんと混濁していき、大きな渦に飲み込まれていく。

それでも、よほど言いたいことがあったらしい。 六本木は荒い息を必死に整えながら、悲痛に訴えた。

「たしか、に、法律では、裁けません、けど……けど……っ」

悩める淑女のため――そんな絶対的な大義名分があるとは言え、違法行為に変わりはない。 根が真面目な六本木は、それを密かに気にしていたらしい。

「……そんなの、全員同罪だろ」

「でも……」

六本木はさらに眉を曇らせる。

――そんなことを気にするなんて、真面目にも限度ってものがあるだろう。

新宿は、相手のやっかいな性格を少しだけ恨んだ。 気にしていること自体は別に問題ではないが、そのタイミングが問題だ。 なぜ、よりにもよって、今。

それでも、新宿にとっては、そんな生真面目な部分も含めて愛しいのだから、仕方がない。

「……気になるなら、俺が裁いてやるよ」

若干低い声でそう言うと、新宿は指を引き抜いた。 その代わりに、六本木の膝の裏に手を当て、足を大きく持ち上げる。

「……力抜いて」

「え、新宿さ……っ」

「ほら、『犯罪者』さん。それじゃ、お仕置きできないだろ?」

六本木はしばらく逡巡していたが、やがて小さい声でそれを許容した。

「……わかり、ました……」

そして、さすがに今の状況で引っ張るべき話題ではないと気づいたらしい。 さらに小さい声でつぶやいた。

「あの……ごめん、なさい……」

「分かれば、よろしい」

うなだれる六本木に、新宿は柔らかく微笑みかけた。

「う、うぁ……っ」

自分の中に押し入られる感覚に、六本木は思わずのけぞった。

「いい子だ。そのままじっとしてろよ……」

秘所に差し込まれた熱が、ゆっくりと動かされる。 焦らすように、煽るように。 そのたびに、六本木の体の奥に、押さえようのない衝動が浮かんでいく。

「しん……じゅ、く、さん……」

息が上がってしまって、うまく言葉にできない。 自分が呼んだ名前の響きに、さらに煽られていく。

「……あ、あの……っ」

六本木は何か言いたげに口を動かした。 だが、体が揺さぶられるたびに言葉が途切れてしまう。 それに気づいた新宿は、腰の動きを緩め、話しやすくしてやる。

「……何?」

六本木は、息が完全に整いきらないまま、笑顔を作った。 思いついた言葉を、思いついたまま口に出す。

「……今、は……僕だけに、優しいんですよね……?」

突然の質問に、新宿は目を丸くした。 そして、その言葉の重みを、愛しさを噛みしめるように、優しく微笑んだ。

「……そうだよ」

六本木の無理やりな笑顔が、泣きそうな表情に変わった。

――ああ、また泣かせちまった。

新宿は小さな罪悪感を心の奥に押し込んで、愛しい相手に告げた。

「好きだよ、六本木……」

その言葉がトリガーになった。

「僕、も……あ、ひゃあぁっ!」

強められた刺激に、六本木の背中が弓なりに反る。 図らずも漏れてしまった嬌声が恥ずかしくて、固くつむられた瞳から涙が滲む。 だが、それをぬぐってやる余裕は、新宿には残っていなかった。

「六本木……」

新宿は、低くかすれた声で名前を囁いた。 その響きが心地いい。 そう思った刹那、六本木の体内で熱が弾けた。

「う、あ……っ」

その愛しい熱さに引きずられるように、彼もまた自身の熱を解放した。

「は、はぁ、ふあ……」

荒い息を吐きながら、ぐったりとシーツに身を沈める六本木に、新宿は手を伸ばした。 そっと、チョコレートと同じ色をした髪を梳いてやる。

――ごめん。全然優しくないな、俺。

新宿は、その言葉を声に出さなかった。 だが六本木は目を細めた。

「……やさしい、ですよ。とっても……」

「しーんじゅーくさんっ」

新宿の上に、ご機嫌な声が降ってきた。 声だけでなく、その表情もとびきりご機嫌だ。

「んだよー……」

余韻に浸っていた新宿は、気だるげに返事をした。 声の主はさっきまで、新宿の隣で枕を抱えて横たわっていた。 だが突然何かを思い出したように起き出すと、やがて何かを持って戻ってきたのだ。

「口、開けてください」

そう言って新宿を覗き込んだ六本木は、甘い芳香を放つ球体を手でつまんでいる。 それはどう見ても、今日嫌というほど見せられたカカオ製品だ。

「今日買ってきたやつです」

「……いい」

新宿はげんなりした表情で、背を向けるように寝返りをうった。 六本木は残念そうに、手に持ったチョコレートを自分の口に入れた。

「……おいしいのに」

「そりゃ、うまかったけどさ」

新宿は気の無い返事を返す。

ベッドの縁に腰掛けた六本木は、2個目のチョコレートを頬張った。 いくつ食べる気なんだ、と、新宿はあきれながら眺めていた。 その視線に気づいたのか、六本木が振り返る。

「……一緒に、食べてくれます?」

新宿の脳裏に、昼に交わした会話が甦った。

――これとこれ、どっちがいいですか?

――何で俺に聞くんだ。

――え? 一緒に食べましょうよ。

「一緒にって、お前……」

お前も一緒に食べていいのかよ、と言いかけて、新宿は口をつぐんだ。 六本木はよく、全く意識せずにその類の殺し文句を口にする。 そのたびに天然だとからかわれ、本人はわりと気にしているようなのだ。 そして、今日はすでにそのネタでひとしきり楽しんでしまった。

(……2回目はやめておくか)

新宿は心の中で、俺ってやさしー、と自賛する。

「……満腹だから、1個だけな」

END