誰がための痛み

その日、伊豆の空は雲ひとつ無い快晴だった。 海は太陽の光を映してキラキラと輝き、海鳥が風を受けて優雅に飛んでいた。 そんなのどかな光景とは対照的に、連邦軍伊豆基地のドックは熱気でむせ返るようだった。

R-1のチェックをしていたリュウセイは、少し離れた所にチームメイトの姿を認めて大声で呼びかけた。

「おーい、ライー!そっちは調整終わったかー?」

ライは声のするほうに視線を向けた。 リュウセイが作業用のリフトの上から、無邪気そうに腕を振っている。 聞こえるようにと大声を出したことは分かっていたが、ライは少し眉をひそめた。

「ちょっと、俺のほうも見て欲しいんだけどー!」

「わかった。今行く」

短く答えてから、今度はリュウセイには聞こえないようにつぶやいた。

「そんなに大声を出さなくても、聞こえている……」

手のかかるチームメイトのほうに向かおうとして、ライは足を止めた。 ちょうど手首のあたり、彼の本来の腕と義手の接合部分に刺すような痛みを感じたのだ。

「……ッ」

思わず、黒い手袋のはめられた左手を、右手で覆う。 立ち止まったままのライを不思議に思い、リフトから降りたリュウセイが近づいてきた。

「どうした?」

「……」

そして、リュウセイはライが左手の上に右手を重ねているのに気付いた。

リュウセイは、ライが左手を失うことになった事故については、概略を聞いただけだった。 本人は決して話そうとはしないし、リュウセイも踏み込んだことを聞くことはできなかった。 だが、その事故の記憶がライを苦しめていることはよく分かっていた。 ライが左手を気にしているときは、決まって彼が悩んでいるときだ。

「……痛む、のか?」

リュウセイは遠慮がちに尋ね、手を伸ばしてライの左手に軽く触れた。 だがライは、ゆっくりとその手を振り払った。

「なんでもない、行くぞ」

ライはそう言うとリュウセイを追い越すようにして、R-1のハンガーの方向に歩き出した。

「お、おう……」

リュウセイは振り払われた右手を少しだけ気にしながら、いつもより早足で歩くライを追いかけた。

ざわつく食堂で、ライはひとり夕食をとっていた。 その姿に気付いたアヤが、声をかける。

「ねえ、ライ。ここいいかしら?」

「いいですよ」

ライは食事をしていた手を止め、隣の席の椅子を引いた。 アヤが両手でトレーを持っていたからだ。

「ありがと」

「いえ」

その心遣いに笑顔で応えるアヤに、ライも軽い笑顔を向ける。 アヤは引かれた椅子に腰掛けようとして、もう一人のチームメイトに気付いた。 彼は空席を探すように、トレーを持ってうろうろと歩いていた。

「リュウ」

アヤはトレーを置くと軽く手を挙げて、リュウセイを呼んだ。

「お、アヤ」

「ライも一緒よ。あなたもいらっしゃい」

アヤは隣のライに視線を移した。 いいわよね、と彼女が目で尋ねると、ライは黙って頷いた。 リュウセイの位置からは、最初は立っているアヤしか見えなかったが、やがてその隣にライの金髪が見えた。 だが次の瞬間、その金髪がぐらりと揺れた。

「ライ!?」

アヤの高い声があたりに響く。 リュウセイは近くにあったテーブルに乱雑にトレーを置くと、慌てて二人のいるテーブルに向かった。

ライは半ば椅子から落ちるような体勢で、背を丸めていた。 その表情は苦悶に満ちている。

「ライ!おい、ライ!」

リュウセイはライに駆け寄り、その背中に手を置いた。 左手が胸の前で右手で押さえられており、まるで左手を抱えこんでいるようだった。

「だ……大丈夫だ……」

「大丈夫なわけあるかっ!」

必死に平静を装うライの姿に、リュウセイが思わず声を荒げる。

「と、とにかく、医務室に……」

突然起こったことにアヤの顔は青ざめ、声は震えていた。 そんなアヤの視界を遮るように、リュウセイはライの肩に手を回した。

「ああ。俺が連れて行く」

だから心配するな、とアヤに目配せする。 リュウセイはふらつくライを抱えあげるようにして立たせ、食堂を後にした。

40分後、リュウセイは医務室ではなくSRXラボの前にいた。 義手の不具合かも知れないから、とライがこちらに向かうことを望んだからだ。 ラボについた時には、だいぶ痛みが治まっていたようだったが、それでも心配が募る。

「……まだ、終わらねぇのかな……」

リュウセイがその言葉をつぶやくのは、これで4度目だった。 20分ほど前に来たアヤを、心配しなくていいと追い返したが、一人でいると考えが悪い方向に向かってしまう。 やはりアヤにも一緒に残ってもらえばよかった……。 不安を振り払うようにリュウセイが頭を振ったとき、ラボのドアが開いた。

「ライ、どうだった?」

出てきたライの表情は、心なしか暗かった。

「オオミヤ博士に見てもらったが、義手に問題は見つからなかった」

「じゃあ、なんで……」

ライの言葉に、リュウセイは視線をライの表情から左手に移した。 はめられている手袋の黒色が、彼の不安を煽ってくるようだった。

「……分からん」

「分からんって……」

その答えでは不服だったらしく、リュウセイの表情は険しくなった。

「分からないんだから、仕方無いだろう」

ライはため息まじりに同じ言葉を繰り返した。

「……本当に?」

険しい表情のまま、リュウセイは聞き返す。 自分のことをほとんど話そうとしないライの性格をよく知っていたからだ。 ライはいつも、辛いことを誰にも話そうとはしない。 リュウセイには、それが一番の気がかりだった。

「ああ」

ライは短く返事をすると、自分にまっすぐ向けられる視線を避けるように、リュウセイに背を向けて歩き出した。 その背中に、リュウセイは言葉をぶつけた。

「何かあったら、俺にもちゃんと言えよ!」

その言葉にライは歩みを止めた。 背中越しに、チームメイトの思いが痛いほど伝わってくる。 リュウセイがライの性格をよく知っているのと同様に、ライもリュウセイの性格を把握していた。 自分のことを心配し、そして、何も言おうとしない自分に対して怒っている。 分かってはいたが、彼はあえて何も言わないことを選んだ。

「……心配させて悪かった」

振り返らず、まるで独り言のようにそう言うと、ライはまた歩き出した。

イルムはブリーフィングルームで、珍しく作戦の報告書類に目を通していた。 普段の彼なら口頭で報告を受けるだけで、それ以上の情報を自分でまとめようとはしない。

「そういう作業は、そういう作業が得意なやつがやったほうが効率がいいから」などと言ってはばからない彼が書類をさばいているのには、理由があった。 彼の隣で同じように報告書類に目を通している戦友に、声をかけるタイミングを計っていたからだ。

「なあ、ライ」

そして、まるで世間話でも始めるように、イルムはライに声をかけた。

「はい?」

書類から顔をあげずに、ライは聞き返した。

「お前、倒れたんだって?」

ライはその言葉にも顔をあげない。

「……ご心配をおかけして、すみません」

予想していたその言葉に、イルムは軽く舌打ちした。

その気まずい沈黙を破るように、部屋のドアが開いた。

「おう、リュウセイ。どうした?」

「い、いや、別に」

リュウセイは曖昧に答えると、部屋の中を覗き込んだ。 作戦前には人で埋まってしまう座席も、今は二人が座っているだけだ。

「用ってほどじゃ……ないんだけど……」

リュウセイは、「あること」を確認しに来たのだ。 もしそのことが事実だったら、彼にとってはこの上なく大きな問題だった。

「何なんだよ」

ドアから顔を出しているだけのリュウセイを不思議に思い、話を聞こうとイルムが席を立ったときだった。 後ろで、何かが倒れるような鈍い音がした。 振り向くと、さっきまで席に座っていたライが床に倒れている。

「おい、ライッ!」

慌ててイルムが助け起こすと、ライは左腕全体を体の前で抱え込むようにしていた。

「ぐ……」

激痛を堪えているのか、歯を食いしばり、額には脂汗が浮かんでいる。

イルムは食堂の女性スタッフから、ライが倒れた話を聞いていた。 その女性は、まるで胸を押さえているように見えたと話していたが、イルムにはその動作の意味するところが分かっていた。 だからこそ、いつもやらない書類整理までして話をしようとしていたのだ。

「おい、リュウセイ!担架だ!担架持って来い!」

イルムの指示に、リュウセイはすぐに動こうとしない。

「リュウセイ!」

もう一度怒鳴られて、リュウセイはハッと我に返った。

「あ、ああ!」

リュウセイは廊下を駆け出しながら、唇を噛みしめた。 そして、搾り出すようにつぶやいた。

「……決定的じゃねーか……」

翌朝、ライは女性の話し声で目をさました。 倒れた後医務室に運ばれ、今までずっと眠っていたらしい。

「あら、起こしちゃった?ごめんなさい」

話し声の主はラーダとアヤだった。 二人とも、辛そうな表情をしている。 自分自身の原因不明の痛みより、彼女達にそんな表情をさせてしまうことが、ライにとっては辛かった。

「もう……大丈夫です。すみません」

左手には、まだ少ししびれるような感覚が残っていたが、ライはそんな素振りを見せまいと上半身を起こした。 その様子を見て、アヤはベッドの隣にあるスツールに腰掛けた。

「ねえ、ライ……」

そして何か言おうとして、口をつぐんだ。 しばらく迷っていたが、ラーダにうながされるように、アヤはゆっくりと話し始めた。

「……リュウのことなんだけど……」

思いつめたようなアヤの話が終わったとき、ライは制止も聞かず医務室を後にしていた。

SRXラボの前でライと別れた後、リュウセイはアヤの部屋を訪れて、ライが倒れた原因について話し合っていた。

「本当にびっくりしたわ……いきなり倒れたんだもの」

そして、その瞬間を思い出したのか、胸に手を当てて辛そうな表情を浮かべた。 リュウセイはそんなアヤを見たくはなかったが、会話を続けた。

「でも、本当にいきなりだったよな……」

「ええ。私があなたを呼び止めた直後だったわ。それまでは普通に食事をとっていたんだけど……」

リュウセイは、整備中にライの様子が変だったことを思い出した。

「そういや、あの時も俺が声をかけて……」

言いかけて、リュウセイの表情が変わった。

「なあ、アヤ、まさか……」

「え?」

リュウセイはアヤの返事を待たずに、座っていた椅子から立ち上がった。

「俺、確かめてくる!」

「ちょ、ちょっと、リュウ!?」

ライの居場所は見当がついていた。 この時間なら、おそらくブリーフィングルームでデータチェックをしているはずだ。 リュウセイがブリーフィングルームを覗き込むと、予想通りライはそこにいた。

「そんなこと……あるわけない……」

リュウセイは自分に言い聞かせた。 心臓が早鐘を打ち、手のひらに嫌な汗が流れるのを感じた。 不思議そうな顔をしたイルムが、こちらに歩いてこようとした時だった。 イルムの影で、ライが床に崩れ落ちるのが見えた。

「!」

まさに、悪い予想通りに。

ライが運び込まれた医務室の前で、リュウセイは呆然と立ち尽くしていた。 隣にいるイルムは、苦虫を噛み潰したような表情で、医務室のプレートを睨みつけている。

「リュウ!リュウッ!!」

聞こえてきたアヤの声に、リュウセイは視線をそちらに向けた。

「ま、また、倒れたんですって……?」

かなり走ってきたのだろう、アヤは必死に呼吸を整えている。

「アヤ……」

リュウセイの顔からは、いつもの元気さは失われていた。

「俺の……俺のせいだ……」

「違う!」

うめくようなリュウセイの声に、イルムの怒声が重なる。

「そんなこと、あるわけねぇだろうが!」

いつになく声を荒げるイルムと、すっかり意気消沈のリュウセイ。 ライがまた倒れたという事実にそれらが重なって、アヤはすっかり混乱してしまった。

「ちょ、ちょっと、何なの?ちゃんと説明して!」

リュウセイは口を閉ざし、代わりにイルムがアヤの疑問に答えた。

「こいつが、ライが倒れた原因は自分だって言い張るんだよ」

「そんな……」

アヤは、リュウセイが部屋を飛び出したときのことを思い出した。 確かめに行くと言っていたのは、そのことなのだろうか。

「だって……だって、ライの奴、それまでは普通にしてたのに……」

リュウセイは強く拳を握りしめた。

「……俺が現れたからだろ?食堂の時も、さっきも……」

「リュウ……」

アヤは何と答えていいのか分からず、イルムを見た。 イルムは渋い顔で首を横に振った。

「……そんなわけ、あるかよ。考えすぎだ」

イルムは、ライが倒れた原因がリュウセイに気付いたことだとは思っていなかった。 しかし目の前で倒れられてしまっては、否定しきれない。 そのことが、彼の語気を必要以上に強めていた。 イルムの言葉にリュウセイは答えず、ただ黙ったままだった。

「まったく、いつもは何にも考えてないくせに……」

そんな悪態も、耳には届いていないようだった。

医務室を出てきたライは、沈痛な面持ちで廊下を歩いていた。 頭の中に、アヤに言われた言葉がこだまする。

『あの子……自分のせいだ、って……』

ライは左手を握り締めた。 弱い自分自身を戒めるはずだった冷たい左手が、誰かを苦しめている。 そのことが彼には許せなかった。 苦しめてしまう人物が敬愛する上官や大切な相棒であるなら、なおさらだった。

ライは、リュウセイの部屋の前で足を止めた。 そしてドアをノックしようとして、さらに表情を曇らせた。

「……」

そっと左手に右手を添える。

「……重症だ……な……」

起きたときに左手に残っていた違和感は、廊下を歩いているうちに収まっていた。 それが、ドアをノックしようとして手を伸ばした瞬間、また彼の手首を襲った。

『あなたが倒れてしまう原因は、自分なんだ、って……』

右手を左手から引き剥がすと、ライはドアを叩いた。

「リュウセイ、いるんだろう!」

いつもより荒い声で、部屋の中にいるはずのチームメイトを呼ぶ。

「リュウセイ!」

リュウセイは、ドアがノックされる前から、ドアの外にライがいることに気付いていた。 それが彼が持つ特殊な力によるものなのか、それともただの勘なのかは本人にも分からなかった。 リュウセイは腰掛けたベッドの上で、シーツを強く握り締めた。 いつまでもこうしているわけにはいかない。 だが、ドアを開けるつもりもなかった。

「リュウセイ!」

何度も自分の名前が呼ばれ、その度に胸が締め付けられる。 シーツを握っていた手を離し、リュウセイは耳を塞いだ。

「どうすりゃ……どうすりゃいいんだよっ!!」

リュウセイが搾り出すように叫ぶと、ドアの向こう側が静かになった。 さっきまで聞こえていたドアを叩く音も、彼の名前を呼ぶ声も聞こえない。 急に訪れたその静寂は、彼の心に重くのしかかった。

「お、おい……ライ……?」

部屋の外に聞こえるように呼びかけてみたが、返事はなかった。 リュウセイは一瞬迷ったが、すぐにベッドから降りてドアの開閉ボタンを押した。

ドアが開くと、目の前の通路を挟んだ壁にライが座り込んでいるのが見えた。 背中を丸めて左腕を抱え込んでいる。

「ライ!しっかりしろ!」

リュウセイは床に片膝をついてライを覗き込んだ。 そして助け起こそうと手を伸ばしかけて、慌てて引っ込める。 自分がライの苦痛の引き金になっているのだとしたら、これ以上関わることはできない。

「今、人を呼んでくるから!」

立ち上がろうとしたリュウセイを、ライは震えた声で、だがはっきりと制止した。

「……待て……っ」

そして右腕を伸ばすとリュウセイの肩に回し、そのまま力を込めて引き寄せた。 激痛からの逃げ場を求めるように、その手はリュウセイのジャケットを強く握る。

「お、おい、ライ……!?」

苦しそうなライの息遣いが、リュウセイの耳元に直接伝わってきた。 とにかく、誰かを呼びに行かなくては。 今のライの状態なら、振りほどくことは容易だった。 だがリュウセイがそうする前に、ライは右腕に込めた力をさらに強くし、つぶやいた。

「動く……なよ」

「う……」

先手を打たれたリュウセイは、その言葉に従うしかなかった。

どれくらいそうしていただろうか。 実際にはほんの数分の出来事だったが、リュウセイにはその数倍ほどに感じられた。 ふいに、ライが回していた右腕を緩めた。

「やはり……な」

耳元で聞こえた声は、先ほどよりもずいぶんと落ち着いていた。 ライは、ゆっくりとリュウセイから体を離した。 その表情には、もう苦痛の色はなかった。

「ライ……?大丈夫……なのか?」

リュウセイは困惑しきった様子で、ライに尋ねた。 ライはその問いかけには答えず、まるで子犬でも撫でるかのようにリュウセイの頭を撫でた。

「……やはり、お前に触れていると落ち着く」

リュウセイが腕の痛みの引き金になっているのではないか。 ライはその疑問を、イルムがそうしたように馬鹿げた仮説だと否定していた。 しかし、それが確実に作用していることも認識していた。 だが同時に、それを鎮める要因もまたリュウセイなのではないかと考えていた。 それに気付いたのは、一番最初に手首に違和感を覚えたときだった。

『……痛む、のか?』

リュウセイがおずおずと差し出した手が彼の手に触れたとき、すっと痛みが引いた。 何故そうなるのか、ライには見当もつかなかった。 だが、もう原因などどうでもよかった。 まるで自らの痛みにじっと耐えているような、辛そうな顔を見なくて済むのなら。 ライはもう一度、彼の大切な相棒の頭を撫でた。

もう大丈夫だ。 だから、そんな泣きそうな顔をするな。

そう言うと、ライは少し照れたように微笑んだ。

「……うーん、やっぱり信じられないな」

ライの顔と、小型モニタに映し出されたデータとを交互に眺めながら、ロバートは眉を寄せた。

「原因も、その対処法も荒唐無稽すぎる!」

「そう言わないでください。……俺が一番信じられないんですから」

SRXラボでは、採り直したライの身体データを元に、原因の調査が行われていた。 だがどれだけ調べてみても、はっきりした原因は特定できなかった。 元来のプログラマ精神からか、究明できないトラブルにいらだつロバートを横目に、カークは表情を変えずに言った。

「おそらくは、心因性のものだろう。いくら調べても分からんよ」

カークが「心因性」などというはっきりしないものを持ち出すということは、匙を投げられたのと同義だ。 ライは心の中で天を仰いだ。 その様子を見て、ロバートは慌ててフォローを入れる。

「ま、まあ、昨日ブリーフィングルームで倒れたときよりは、だいぶ落ち着いてるみたいだし……」

そんなロバートを無視するかのように、カークは言葉を続ける。

「2、3日もすれば治まるだろう。その間、敵襲がないよう祈っておくんだな」

一方的にそう告げると、彼はラボの奥へと消えていった。 残されたロバートは、小さくため息をつくとライに向き直った。 申し訳なさそうに、視線を下に落とす。

「ごめんな、ライ。正直、俺たちにも原因が分からない」

結局、先日ラボに担ぎ込まれたときと同じく、痛みの原因は分からずじまいだった。 だが同じ原因不明であっても、ライの気持ちはずっと軽かった。 何かあったらすぐに来いよ、とロバートに念を押されてラボを後にすると、外ではリュウセイが待っていた。

「ライ、どうだった?」

「やはり、原因は分からないらしい」

そう言って、ライは左手に視線を向けた。

「そっか……」

リュウセイの表情が曇る。

「……リュウセイ。お前、朝食は食べたのか?」

「え?あ、ああ、そういや食ってなかった」

先刻まで自分の部屋に閉じこもっていたのだから、当然だった。 故意に話題をすりかえた事を悟られないように、ライは言葉を続けた。

「なら、少し早いが昼食にしよう。それから午後のチームミーティングで大尉に状況を話して……」

「あ!」

ライの言葉を遮って、突然リュウセイが叫んだ。

「な、ライ。俺いいこと思いついたんだけど」

リュウセイは満面の笑みを浮かべ、右手を差し出した。

5分後、ライとリュウセイは、食堂へと向かう通路を歩いていた。 その通路をライが歩いているのはごく普通なことであったし、隣にリュウセイがいるのも見慣れた光景だった。 それにも関わらず、すれ違う人々は小声で何かをささやきあったり、立ち止まって振り返ったりしていた。

「色男さぁん?」

そんな中、いつもの呼び方で、エクセレンがライに声をかけた。 呼び止められたライの眉がぴくりと跳ね上がる。 エクセレンは腕組みをしたまま体を斜めに倒し、下からライの顔を覗き込んだ。 そして、タスクが「悪魔の微笑み」と恐れる悪戯っぽい笑みを浮かべ、尋ねた。

「それは一体、何のアピールなのかしらぁ〜?」

いつもの光景は、ただ一点だけが違っていた。 ライの左手にリュウセイの右手が重ねられているという点だ。 エクセレンの問いかけに、つないだ手を軽く揺らしてリュウセイが答えた。

「だって、これが一番効率がいいからさ」

ライはエクセレンにもリュウセイにも視線を向けず、恨めしそうに虚空を睨んでいた。

「効率?効率って、何の?」

エクセレンは、今度はリュウセイに向かって体を倒す。

「なんか、ライの奴、俺のこと考えると腕が痛くなるらしいんだよ」

「ああ、昨日倒れたって……」

痛くなるのは腕ではなく胃ではないのか、とエクセレンは思ったが、口には出さないでおいた。

「でも、俺が触れてると落ち着くらしいんだ。だからこうしてればオッケーだろ?」

そう言って、リュウセイは右手を顔の高さまで持ち上げた。 自動的にライの左手も持ち上げられる。 ライは眉をひそめたが、リュウセイは無邪気な笑顔を崩さない。

「わぁお!それでお手々つないでラブラブなのね」

「……誰がだ」

「いいわねぇ、これぞ青春!って感じじゃない?」

ライの表情はさらに険しくなったが、それに反比例するようにエクセレンはさらに笑顔になる。

「照れない、照れない。先生は恋する少年少女の味方よん?」

エクセレンはとびきりの笑顔でそう言うと、くるりとターンを決め、軽い足取りで歩いていった。

「……」

ライはこれ見よがしに大きくため息をついたが、リュウセイはそれを見なかったことにした。 そして一歩前に出て、腕を強く引っ張った。

「ほら、早く行こうぜ!」

ライはあきらめにも似た表情を浮かべ、もう一度小さくため息をついた。

「……分かった。分かったからそんなに引っ張るな」

そして、リュウセイに手を引かれるままに歩き始めた。 しかし数歩進んで立ち止まる。

「リュウセイ」

「ん?」

呼びかけられて、リュウセイがライのほうに顔を向ける。

「……ありがとう」

そうつぶやいたライの表情は、いつもよりずいぶんと柔らかく、どこか優しげだった。 なぜかそれを直視できず、リュウセイは視線を外した。

「べ、別に、礼を言われるようなことじゃ……元はといえば俺のせいだし……」

「だが」

ライはリュウセイの言葉を遮った。

「これは、やりすぎだ」

言い終わるや否や、ライは左手に力をこめた。

「う……っ!」

右手を強い力で握られて、リュウセイは思わず顔をしかめる。 リュウセイが視線を戻すと、ライの表情はいつもの沈着冷静なものに戻っていた。

「……ライ、怒って……る?」

「ああ」

そう言うと、ライは再び歩き出した。 だが、つないだ手を振りほどこうとはしなかった。

END