Scheduled Star Light
- 書いた日:2010.07.04
「いたいた、新宿さん」
シートに座ってうたた寝をしていた新宿は、自分の名前を呼ぶ声で目を覚ました。 声のした方を見ると、列車の連結部のドアが開き、何かが入ってくるところだった。
それは、わさわさとした緑色の物体。
「な、何だ?」
突然現れたその物体に、新宿は目を見張る。 眠気がすっかり吹き飛んだ状態で改めて向き合うと、それは体の前に植物を抱えた六本木だと分かった。
「……笹? ああ、明日は七夕か」
「はい。それで、これ」
六本木は、彼の身長ほどもありそうな大きな笹を、車両の屋根にぶつけないように抱えなおした。 右手に持った何かを、新宿の方へと差し出す。
「新宿さんの分、書いてください」
六本木が差し出したのは、薄い青色の短冊とサインペン。 新宿は、興味無さそうな表情でそれらを受け取った。 ペンを器用にくるくると回しながら、六本木に尋ねる。
「俺、書くことなんかないぜ?」
「あれ。願い事は自分で叶えるタイプですか」
「いや、そうじゃないが……今が十分満たされてるからな。特に思いつかない」
新宿はペンを自分の顎のあたりに添えて、短冊に書く願い事を考えはじめた。 軽く目を伏せると、長い睫が彼の頬に柔らかい影を落とす。
(……やっぱり、綺麗だなぁ……)
六本木はしばらくの間、そんな新宿の他愛ない仕草に見とれていた。
やがて、じっくりと考えることに飽きたらしく、新宿は顔を上げた。 視線がぶつかった六本木がひどく慌てた様子を見せたが、それについては深く追求しない。
「他の奴らはもう書いたんだろ? 何書いたんだ?」
六本木が抱えている笹には、すでに短冊がいくつか結ばれている。 白、青磁色……おそらく各駅のイメージカラーに由来すると思われる短冊は、緑色の葉とのコントラストが目にも鮮やかだ。
「ええと……ちょっと待ってくださいね」
六本木はもう一度笹を抱えなおし、彼の同僚たちが結んだ短冊を確認しはじめた。
「都庁さんが、『大江戸線の発展と繁栄』」
「ああ、実にあいつらしいわ」
「両国くんが、『健康一番!』」
「なるほど」
「汐留くんが、『新宿さんの身長を越せますように』」
「ほう、いい度胸だ」
「月島さんは、『一日一もんじゃ』」
「……それ、願い事じゃねえだろ……」
後半になるにつれて、新宿の表情はげんなりとしたものに変わっていった。 そしてその表情のまま、六本木に尋ねる。
「……で、お前は何て書いたんだよ」
「僕は……『車内安全』です」
そう言って六本木は、黒地に金色の文字で書かれている短冊を指し示した。 イメージカラーに忠実なのも、そこまで徹底していると、律儀としか言いようがない。
「普通だな」
「奇をてらうものじゃないですし。それに……」
六本木は、恥ずかしそうに目を伏せた。
「一番の願い事は……とてもこんなところに書けません」
「……どんな願いなんだよ」
新宿は苦笑しながら、サインペンのキャップを外す。 だが、短冊の紙にペン先をつけるかつけないかのところで、手を止めた。
「……七夕ってのはもともと、引き裂かれた夫婦が年に一度の逢瀬を楽しむ日だろ?」
「ええ、まあ」
新宿は小さくため息をつくと、ペンを持ったまま頭の上で腕を組む。
「昔は習字なんかの芸事の上達を願って短冊を書いたらしいが……なんにせよ、当人たちにしてみりゃ、とても他人の願い事を叶えてやろうなんて気にならないだろうな」
お前もそう思うだろ、と同意を求められた六本木は、少し考えてから、彼らしい『答え』を提示した。
「そうですね……幸せのおすそわけじゃないですか? 会えて嬉しいから、その分をみんなにも、って」
だが、新宿はその答えでは不服だったらしい。 さらに言葉を続ける。
「毎日会えるのが当たり前だったのが、年に一回しか会えなくなっちまったんだぜ? 俺が彦星の立場だったら、会えても幸せがマイナスからゼロになるだけで、とても分けてやれるほどの量はないな」
その新宿の言葉に対し、六本木は軽く首を横に振った。 そして、まるで自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。
「それでも、必ず会えるなら……。今年も、来年も、そのまた翌年も……そうやって、ずっとずっと、いつまでも会えることが約束されているなら……。 きっと、二人は幸せなんだと思います」
「……俺は、そんなによく出来た『駅』じゃないからな。年に一回なんて、勘弁だ」
新宿はそう言うと、頭の上で組んでいた腕をほどき、膝に乗せた短冊にさらさらとペンを走らせる。 何を書いたのだろうかと、六本木がそれを覗き込む。
(新宿さんのことだから……『全世界の女性の幸福』とか、かな?)
だが、そこに書かれていたのは、六本木の予想をいい意味で裏切る言葉だった。
――彦星と織姫が無事に会えますように。
七夕の伝承では、雨が降ると天の川の水かさが増し、彦星と織姫は会うことができないとされている。 その日出された天気予報では、翌日の天候は曇り。 もし雨になれば、せっかくの年に一度の逢瀬の機会は、文字通りお流れになってしまう。
「……明日、晴れるといいですね」
彼らの幸せを願う新宿の優しさに、六本木は思わず笑顔になる。 だが、新宿はからかうようにその言葉を否定した。
「いーや、曇ってるままの方がいいんだよ」
「え?」
「ギャラリーがいたら、さすがに押し倒せないだろ?」
「……いいこと書くなと思ってたのに、台無しです」
六本木は新宿の手から短冊とサインペンを引き抜くと、くるりと踵を返した。 そのまま無言で歩き出す。
(……ちょっと、まずかったかな)
そんな新宿の後悔をよそに、六本木はまっすぐに、自分が入ってきた連結部のドアの方へと歩いていく。 だが、その足はドアの前でぴたりと止まった。
「新宿さん」
ドアの取っ手に手を伸ばすこともなく、六本木は背中越しの新宿に声をかける。 その声は、ほんの少しだけ、不安げに揺れていた。
「僕たちは……明日また、ちゃんと会えますよね?」
返ってきたのは、低く甘いトーンの口説き文句だった。
「心配なら泊まってくか? ……俺の部屋に」
六本木は肩越しに新宿を振り返り、困ったように笑った。
「……ほんと、台無し」
END