Scheduled Star Light

「いたいた、新宿さん」

シートに座ってうたた寝をしていた新宿は、自分の名前を呼ぶ声で目を覚ました。 声のした方を見ると、列車の連結部のドアが開き、何かが入ってくるところだった。

それは、わさわさとした緑色の物体。

「な、何だ?」

突然現れたその物体に、新宿は目を見張る。 眠気がすっかり吹き飛んだ状態で改めて向き合うと、それは体の前に植物を抱えた六本木だと分かった。

「……笹? ああ、明日は七夕か」

「はい。それで、これ」

六本木は、彼の身長ほどもありそうな大きな笹を、車両の屋根にぶつけないように抱えなおした。 右手に持った何かを、新宿の方へと差し出す。

「新宿さんの分、書いてください」

六本木が差し出したのは、薄い青色の短冊とサインペン。 新宿は、興味無さそうな表情でそれらを受け取った。 ペンを器用にくるくると回しながら、六本木に尋ねる。

「俺、書くことなんかないぜ?」

「あれ。願い事は自分で叶えるタイプですか」

「いや、そうじゃないが……今が十分満たされてるからな。特に思いつかない」

新宿はペンを自分の顎のあたりに添えて、短冊に書く願い事を考えはじめた。 軽く目を伏せると、長い睫が彼の頬に柔らかい影を落とす。

(……やっぱり、綺麗だなぁ……)

六本木はしばらくの間、そんな新宿の他愛ない仕草に見とれていた。

やがて、じっくりと考えることに飽きたらしく、新宿は顔を上げた。 視線がぶつかった六本木がひどく慌てた様子を見せたが、それについては深く追求しない。

「他の奴らはもう書いたんだろ? 何書いたんだ?」

六本木が抱えている笹には、すでに短冊がいくつか結ばれている。 白、青磁色……おそらく各駅のイメージカラーに由来すると思われる短冊は、緑色の葉とのコントラストが目にも鮮やかだ。

「ええと……ちょっと待ってくださいね」

六本木はもう一度笹を抱えなおし、彼の同僚たちが結んだ短冊を確認しはじめた。

「都庁さんが、『大江戸線の発展と繁栄』」

「ああ、実にあいつらしいわ」

「両国くんが、『健康一番!』」

「なるほど」

「汐留くんが、『新宿さんの身長を越せますように』」

「ほう、いい度胸だ」

「月島さんは、『一日一もんじゃ』」

「……それ、願い事じゃねえだろ……」

後半になるにつれて、新宿の表情はげんなりとしたものに変わっていった。 そしてその表情のまま、六本木に尋ねる。

「……で、お前は何て書いたんだよ」

「僕は……『車内安全』です」

そう言って六本木は、黒地に金色の文字で書かれている短冊を指し示した。 イメージカラーに忠実なのも、そこまで徹底していると、律儀としか言いようがない。

「普通だな」

「奇をてらうものじゃないですし。それに……」

六本木は、恥ずかしそうに目を伏せた。

「一番の願い事は……とてもこんなところに書けません」

「……どんな願いなんだよ」

新宿は苦笑しながら、サインペンのキャップを外す。 だが、短冊の紙にペン先をつけるかつけないかのところで、手を止めた。

「……七夕ってのはもともと、引き裂かれた夫婦が年に一度の逢瀬を楽しむ日だろ?」

「ええ、まあ」

新宿は小さくため息をつくと、ペンを持ったまま頭の上で腕を組む。

「昔は習字なんかの芸事の上達を願って短冊を書いたらしいが……なんにせよ、当人たちにしてみりゃ、とても他人の願い事を叶えてやろうなんて気にならないだろうな」

お前もそう思うだろ、と同意を求められた六本木は、少し考えてから、彼らしい『答え』を提示した。

「そうですね……幸せのおすそわけじゃないですか? 会えて嬉しいから、その分をみんなにも、って」

だが、新宿はその答えでは不服だったらしい。 さらに言葉を続ける。

「毎日会えるのが当たり前だったのが、年に一回しか会えなくなっちまったんだぜ? 俺が彦星の立場だったら、会えても幸せがマイナスからゼロになるだけで、とても分けてやれるほどの量はないな」

その新宿の言葉に対し、六本木は軽く首を横に振った。 そして、まるで自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。

「それでも、必ず会えるなら……。今年も、来年も、そのまた翌年も……そうやって、ずっとずっと、いつまでも会えることが約束されているなら……。 きっと、二人は幸せなんだと思います」

「……俺は、そんなによく出来た『駅』じゃないからな。年に一回なんて、勘弁だ」

新宿はそう言うと、頭の上で組んでいた腕をほどき、膝に乗せた短冊にさらさらとペンを走らせる。 何を書いたのだろうかと、六本木がそれを覗き込む。

(新宿さんのことだから……『全世界の女性の幸福』とか、かな?)

だが、そこに書かれていたのは、六本木の予想をいい意味で裏切る言葉だった。

――彦星と織姫が無事に会えますように。

七夕の伝承では、雨が降ると天の川の水かさが増し、彦星と織姫は会うことができないとされている。 その日出された天気予報では、翌日の天候は曇り。 もし雨になれば、せっかくの年に一度の逢瀬の機会は、文字通りお流れになってしまう。

「……明日、晴れるといいですね」

彼らの幸せを願う新宿の優しさに、六本木は思わず笑顔になる。 だが、新宿はからかうようにその言葉を否定した。

「いーや、曇ってるままの方がいいんだよ」

「え?」

「ギャラリーがいたら、さすがに押し倒せないだろ?」

「……いいこと書くなと思ってたのに、台無しです」

六本木は新宿の手から短冊とサインペンを引き抜くと、くるりと踵を返した。 そのまま無言で歩き出す。

(……ちょっと、まずかったかな)

そんな新宿の後悔をよそに、六本木はまっすぐに、自分が入ってきた連結部のドアの方へと歩いていく。 だが、その足はドアの前でぴたりと止まった。

「新宿さん」

ドアの取っ手に手を伸ばすこともなく、六本木は背中越しの新宿に声をかける。 その声は、ほんの少しだけ、不安げに揺れていた。

「僕たちは……明日また、ちゃんと会えますよね?」

返ってきたのは、低く甘いトーンの口説き文句だった。

「心配なら泊まってくか? ……俺の部屋に」

六本木は肩越しに新宿を振り返り、困ったように笑った。

「……ほんと、台無し」

END