Alcoholic Honeypot

六本木が、俺の部屋に来た。

わりとよくあることだ。

昼間――普段の六本木は、誰とでも分け隔てなく付き合っている。 思慮深くておとなしい性格の六本木は、たぶん嫌っている奴の方が少ないだろう。

夜になるとちょっと事情が別になるが、何だかんだで、俺は気に入られているらしい。 ことあるごとに街の規模やら地域性やらをネタに突っかかって来るが、まぁ仕方ない。 あれが「敵視」に入るなら、世の中争いなんて起こらないんだろうなと思うレベル。 可愛いものだ。

夜の六本木の豹変振りには、最初こそ面食らったが、慣れてしまうとそれほど気にならない。 フランクに付き合えるので、逆に気が楽だ。

ただし本人は気にしているらしく、翌朝になると、失礼な発言をしてしまった、と謝りに来る。 俺は別に構わないと何度言っても、必ず来る。 謝るくらいなら最初から俺に絡むなよとは思うが、そんな律儀なところは嫌いじゃない。

ちょっと変なところはあるが、頼りになる同僚で、可愛い後輩。 それが、俺の六本木への評価の全てだった。

その夜、六本木はワインの瓶を抱えていた。

それもよくあることだ。

ただし六本木は、やって来た時点で既に顔がほんのりと赤く、酒の匂いがした。 いつもはそんなことは無かったので、少しいぶかしく思ったが、それ以上は気にしなかった。

ソファに腰を降ろして、ささやかな飲み会が始まった。 そして小一時間ほどが経過した頃、突然、六本木がつぶやいた。

「……なんだか、あつい……」

そう言うが早いか、六本木は着ていた7分丈のシャツをまくりあげ、脱ぎ始めた。 だが、首回りがうまく抜けないらしく、じたばたともがいている。

「なーにやってるんだ、この酔っ払い」

俺はもつれている服をつかんで、手前に引っ張ってやった。

「……ぷは」

何とも可愛らしい吐息とともに、六本木の顔が出てきた。 逆立てられていた髪が、ぱらぱらと頬にかかっていく。 そのまま、袖を中途半端に通したままの半脱ぎの姿勢で、六本木は動きを止めた。

当然ながら、シャツの下にあるのは、素肌だ。 その男性にしては白い肌は、アルコールの効果で、全体的にうっすらと赤く色づいていた。 乱れた髪がかかる首筋が目に入ると、俺はなんだか変な心持ちになった。

もともと六本木は夜になると、妙な色気が出ていた。 端正な顔立ちと、すらりと均整のとれた体。 口を開けば、耳に心地いいテノールボイスで、俺には劣るがトークも上手い。 昼の控えめな様子とはうって変わって、すっかり夜の男だ。

一方で、瞳が大きめなのと、一人称が「僕」なせいで、少しあどけない印象もある。 そのギャップがこれまた絶妙な匙加減で、俺は以前、冗談めかして言ったことがあった。

二丁目を一人で歩くなよ、と。

そういうわけで俺は「そっち系」も理解しているつもりだが、別に趣味では無い。

……はずだ。

半裸でぼんやりしている六本木を見ていると、なんだか自信が無くなっていった。 それをごまかすために、俺は質問を投げた。

「……おい、大丈夫か?」

六本木は、静かに首を横に振った。 そして脱ぎかけの服がまとわりついた腕を、俺の方に向けた。

「……ぬがして、ください……」

俺は、よく耐えたと思う。

潤んだ瞳、紅潮した頬、乱れた髪。 熱を帯びた素肌の感触。 六本木に寄りかかられた状態で、俺は世間話をする羽目になった。

他愛のない、そして俺もよく内容を覚えていない会話が、10分ほど続いた。 たぶん、会話と呼べるようなものは、成立していなかっただろう。 俺は気が散って言葉が見つからず、六本木も思い出したように相槌を打つだけ。 その間ずっと六本木は、とろんとした目で俺を見つめていた。 若干上目遣いのその眼差しは、もはや凶器だ。

しかも、何が楽しいのか、ときおり、とても幸せそうな笑顔になる。 それは夜の六本木が見せる表情ではなく、むしろいつも見ている笑顔に近かった。 だがいつもは感じない色香があり、それでいてひどく無防備だった。

一言で表すなら――『可愛い』。

当たり前だが、部屋には俺と六本木しかいない。 そしてその距離は非常に近い……というかゼロ、心理的にはマイナスだ。 呼吸音が、すぐ近くで聞こえる。 手をほんのちょっと動かせば、簡単に抱き寄せられる距離。

俺は、本当によく耐えたと思う。

「……ふぁ、あふ……」

そんな中、六本木が小さくあくびをした。

「さきに、ねます……」

俺は心の中で、やれやれとため息をついた。 ああ、ソファでもベッドでも好きな方を貸してやるから、朝まで寝ていろ。 俺はようやく苦役から開放されるはずだった。

だが。

「しんじゅく、さん……」

呼びかけられて、俺は迂闊にも六本木と目を合わせてしまった。 熱っぽく潤んだ瞳で、六本木は懇願した。

「おやすみの、きす……」

俺は、本当に――。

翌朝、俺は六本木に揺り起こされた。 俺が完全に覚醒する前に、六本木は頭を床につける勢いで謝り始めた。

「あ、あの、ベッドを占領しちゃって、すみませんでしたっ」

「……他には?」

俺はソファの上でブランケットにくるまりながら、恨みがましい視線を送った。

「あの……飲んでる途中から記憶が無くて……。 シャツも着てなかったし、また何か失礼なことしちゃいました……?」

ごめんなさい、と何度も頭を下げる六本木を見ていたら、怒る気も失せていった。 俺は体を起こしながら答えた。

「……別に何もされてねぇよ。お前が勝手に酔いつぶれただけだ」

「そ、そうなんですか……?」

「そうだよ。だから、とりあえずそこをどいてくれ。起きられないだろ」

俺は、本当によく耐えた。

『りんたろーさん……』

あの時聞いた声が、まだ頭の中に反響していた。

ほぼ完全に眠りに落ちていた六本木を、ベッドまで運ぼうと抱き起こした時だ。 抱えあげられる振動で、少しだけ目が覚めたらしい。 六本木は薄目を開けると、心なしか嬉しそうな声で、俺の名前をつぶやいた。 そして、一呼吸おいて言葉を続けた。

『……すき、です』

俺にとって六本木は、頼りになる同僚で、可愛い後輩。 仲はいい方だと思うが、それ以上でもそれ以下でもない。

だから、要求に応じる形で唇を奪ってしまったことは、機会を見てきちんと詫びようと思う。 本人が言い出したこととはいえ、理性のない相手に対してやっていいことじゃない。

一旦唇を離した後、何故かもう一度奪い直してしまったことは……さすがに黙っているつもりだが。

それはそれとして。

謝罪をする前に、俺には俺の疑問を問いただす権利があるはずだ。 酔いつぶれたわりに、全く二日酔いの気配が無いこと。 そして、記憶が無いと言っているわりに、口元を気にしながら頬を赤らめていること。

それはつまり……。

「……なぁ、六本木。お前、ホントに酔いつぶれてたのか?」

さて……どう答える、六本木。 まさか俺の気を惹くために、酔った『フリ』をしたなんてことは……無いよな?

早く『違う』って言ってもらわないと、俺にとっても、お前にとっても、よろしくないぞ。

いくら俺でも、そこまでされて耐えきる自信は無いから。

END