駅想
- 「仮面ライダークウガ」36話〜39話のクロスオーバーネタです。
- 書いた日:2010.01.24
2000年9月27日。 その日、東京の交通はこれ以上ないほどに混乱していた。
JR東京駅。 中央線の発着する1番ホームに、一人の青年が立っていた。 彼の周りには、右往左往する乗客たち。 駅員たちは、彼らへの説明に追われていた。 悲壮感さえ漂うアナウンスが、構内に響き渡る。
中央線は、全線で運行を停止していた。 だが、事故があったわけではない。 むしろ、その逆だった。
青年は、ホームに停車したまま動かないオレンジ色の車両へと歩み寄った。 そっとその車体に手を添え、悔しそうに唇を噛む。 その青年の名は、『東京』。 この東京駅が具現化した存在だった。 『東京』は、搾り出すようにつぶやいた。
「私は……何もできない」
彼は、懐から、彼の愛用の懐中時計を取り出した。 文字盤に目をやると、その針は午後3時52分を指していた。 そろそろ帰宅のために駅を利用する人々も増えてこようかという時間帯である。 そうなれば、ますます混乱はひどくなる。
「どうか……どうか、一刻も早く――」
祈りのこもった彼の声は、雑踏にかき消された。
大江戸線、都庁前駅。 そのホームに立ち、発着する電車を見つめる青年がいた。 黒髪をきっちりと撫でつけ、眼鏡をかけた、生真面目そうな風貌だ。
彼の名は『都庁前』。 いや、厳密に言えば、彼には名前と呼べるものは無かった。 駅の名前を取って、暫定的にこう呼ばれているにすぎない。 『都庁前』の顔には、ありありと苦渋の色が浮かんでいた。 その原因は、先ほどから多くの乗降客が口にしていた。
「また、『未確認』が出たんだって」
『未確認生命体』。
東京を騒がせている、人ならざる生物。 人間と同じように二本足で歩行するが、その体は他の生物の特徴を備えた異形である。 そして高度な知能を有し、一定の法則の元に、無差別な破壊や殺戮を行う。 それはまさに、化け物と呼ぶに相応しかった。 1月末に最初の個体が確認されて以来、東京はずっと彼らの影に怯え続けているのだ。
今日確認されたのは、その第43号。 そろそろ、都民の感覚も麻痺し始めていた。 『未確認生命体』の起こす事件がどれだけ凄惨であろうとも、日常茶飯事のように感じてしまう。 乗降客たちの会話に伴っていた危機感は、自分の部屋にゴキブリが出た、くらいの軽いものだった。
それはとても危険なことであった。 だが、あまりにも非日常な出来事である上に、自衛のしようもない。 彼らの反応は、ある意味やむを得ないものなのだ。
何度目かのため息をついた『都庁前』に、話しかける青年がいた。 彼と同じ、大江戸線の駅が具現化した存在である『新宿』だ。 『新宿』は、軽く片手をあげて挨拶した。
「どうだった?」
『都庁前』の問いに、『新宿』はのんびりと答えた。
「中央線を止めたらしいぜ」
その言葉に、『都庁前』は目を丸くした。
「何? タクシーが標的だったんじゃないのか?」
「まあ、タクシーの方もひどい有様だったがな」
『43号』はタクシーに乗り込み、その運転手を次々と襲撃していた。 それが『43号』の殺戮の法則だからだ。 すでに、18名もの運転手が犠牲となっていた。 それ以上の被害を防ぐため、タクシー会社は共同で営業を自粛していた。
様子を見てきてほしいと『都庁前』に言われた『新宿』は、JR新宿駅の南口ロータリーへと向かった。 そこには、運転手すら乗っていないタクシーが数台放置されているだけだった。 事情を知らない利用客が代替手段としてバスへ殺到し、その乗り場には長い行列ができていた。
あまり見ていたくない光景である。 『新宿』は無言できびすを返し、戻ろうとした。 だがその時、彼と同じようにその惨状を見つめている人物がいることに気がついた。 相手は、彼とうりふたつの顔をしている。
「……兄さん?」
声をかけられた人物――JR新宿駅の『新宿』は、力なく笑った。 そして彼は、ここで立ち尽くしていた理由を語った。
タクシーの営業自粛により次なる標的を失った『43号』は、標的を変えたというのだ。 限定的な「タクシー」という対象から、より汎用的な「人を乗せて動く箱」――すなわち、「乗り物」へ。 すでに、エレベータやバスが襲われているという。
だが、その標的として選ばれていたタクシーやバスには、ある決定的な法則が隠れていた。 それは、ボディの色が特定の10色であること。 『43号』は、決められた色の順番に沿って標的を定め、襲っていたのだ。 法則さえ分かってしまえば、次の標的も予測できる。
次に『43号』が狙う色は、オレンジ色。
――オレンジ色の動く箱。
誰もが、目の覚めるようなオレンジ色の車体を連想した。
「……と、いうわけだ」
『新宿』は、彼が彼の兄から聞いた話を『都庁前』に伝えた。 『都庁前』は、こめかみを押さえてうめいた。
「被害を出さないために全線停止、か……」
本来、決められたダイヤグラム通りに電車が発着しないということは、あってはならないことだ。 『駅』である彼にとって、それは非常に重要な問題であった。 非常事態によるものだと理性では分かっていても、本能的には受け入れがたい。 それは『新宿』も同じだったらしい。 フォローするかのように、一言付け加えた。
「そのおかげかは知らないが、今のところ被害は出てないそうだぜ」
「……それならいいが……」
『新宿』はホームの柱を軽くこづいた。 コン、と小気味よい音が響く。 だがその音とは対照的に、『新宿』は苦々しげな表情を浮かべていた。
「ったく、公共交通をなめるのもたいがいにしろっての」
「……」
『都庁前』は沈痛な面持ちでそれを見やった。 『43号』の被害に遭った交通機関は、中央線とタクシー、バスだけではなかった。 ここ、大江戸線もそうだった。
今から2時間ほど前、警察から大江戸線に打診があった。
――練馬区にある地下資材基地を、提供してほしい。
『43号』は、自身の体液を使い、相手を「溶かして」しまうことで犯行を重ねていた。 その体液は、鑑定の結果、プラチナをも溶かすほどの強酸性であることが分かった。 そんな相手を倒す際に、その体液が周囲に飛散してしまったら、二次災害は免れない。 そのため警察は、周囲に影響の出ない場所を確保しなくてはならなかった。 そして白羽の矢が立ったのが、現在は使われていない、大江戸線の地下資材基地だった。
大江戸線側は、その申し出を快諾した。 もう使われていない場所であるし、それに『未確認生命体』がらみでは、協力を断るわけにもいかない。 その資材基地は、あっさりと『43号』との最終決戦の地として選定されたのだった。
人間の思惑は、それだけだった。 だが、『駅』には『駅』なりの思いがある。
「……まったく。無力だな、俺たちは」
「『新宿』?」
彼らが背を向けていた乗車ホームに、光が丘方面行きの電車が入ってきた。 振り返ると、『新宿』はゆっくりとそちらへ歩き出す。
「おい、そっちは……」
新宿駅とは逆方向だぞ、と言いかけて、『都庁前』は気づいた。 『新宿』が行こうとしている場所は、彼の駅ではない。
「……私たちが行っても、どうにもならないぞ」
『新宿』は、一瞬だけ立ち止まって答えた。 その声は、ひどく押し殺したものだった。
「分かってるよ」
「ちょっと、冷やかしに行くだけだ」
練馬区某所。 『新宿』は、小さなビルの屋上に立っていた。 そこからは、決戦の舞台である、資材基地の様子を見渡すことができる。 彼の視線の先には、ぽっかりと口を開けた資材基地の入り口。 綺麗にコンクリートで舗装された幅の広い通路が、地下へと伸びている。
入り口付近にはパトカーが1台だけ停まっており、若い警官があたりを警戒している。 それ以外に人の姿は見当たらないが、ときおりパトランプの赤い光が通路の壁を照らしていた。 おそらく、ここからは見ることのできない、通路の先に警官隊が配置されているのだろう。
『新宿』は、屋上に設置されたフェンスに寄りかかって、変化の無い光景を眺めていた。 そんな彼の背後で、声がした。
「ああ、いたいた」
驚いて振り返った『新宿』は、そこに立っていた人物を見て、さらに驚くことになった。
「と、『豊島園』先輩っ!?」
「そんなに驚くことないだろ」
人懐っこい笑顔で答えたのは、『豊島園』だった。 この資材基地から最も近い位置にある駅、豊島園駅の具現化した存在である。
「さっき駅で君を見かけてね。どうせなら、一緒に行こうかと思って」
でも歩くの早いね、途中で見失っちゃったよ、と笑いかけながら、『豊島園』は『新宿』の隣に並んだ。
「君は、何しに?」
穏やかな口調のまま、『豊島園』は尋ねた。
「別に……冷やかしに来ただけです」
「ふぅん」
『新宿』は目を合わせようとせず、ただ眼下に広がるコンクリートの通路を眺めている。 それが、冷やかしなどではない何よりの証拠だった。 だが、『豊島園』はそれ以上追求することはしなかった。 代わりに、彼がここに来た理由を告げた。
「……僕は、見届けに来たんだ」
「見届ける?」
『新宿』が顔を上げる。
「そう。ここにはお世話になったから……最後の仕事、見届けてあげようと思って」
1986年から始まった大江戸線の建設において、この資材基地は建設の重要な拠点だった。 たとえ建設中の記憶は無くとも、彼ら『駅』たちにとっては、ある種の特別な感情を起こさせる場所である。
全駅の建設が完了した現在は使われておらず、また今後使われる予定も無い。 やがて完全に閉鎖され、跡地が有効利用されるか、取り壊されるか、どちらかになるだろう。 それでも、こんな形で強制的に廃棄されることは、彼らにとって本意ではなかった。 若干の理不尽ささえ感じた。 必要不可欠であると頭では分かっていても、受け入れきれないのだ。
中でも、最も初期に開業した『豊島園』にとって、この資材基地は非常に思い出深い場所だった。 彼の「後輩」たちのための資材が、ここに集積され、そして大型トラックに積み込まれて運ばれていく。 そんな光景を眺めながら、彼は東京の地下深くを結ぶ新たなネットワークへ思いを馳せていた。
その思い出に、今日、幕が降りる。
ゆっくりとした沈黙が流れた。 それを破ったのは、遠くから響いてきた轟音だった。 低く重い、バイクの走行音。
二人はその音に気を取られた。 そのため、彼らの背後に現れた人物に気づくのが遅れた。 彼は無言のまま、そっと『豊島園』の隣に進み出た。 ようやく気づいた『豊島園』が、『新宿』に向けたのと同じ笑顔を向ける。
「あれ、君も冷やかし?」
「……そのようなものです」
長身の青年――『都庁前』は、短く答えた。 その姿に『新宿』は一瞬眉をひそめたが、何も言わなかった。
轟音は大きくなり、やがてその音の主が姿を現した。 黒光りする、大型のバイク。 それは、生物的なフォルムを持った金色の装甲に覆われている。 その装甲の先端部分に、何か人間大のものが突き刺さっている。
『43号』。 その姿を見るのは初めてであったが、彼らは直感的にそれを理解した。 茶色を基調とした体は、人のそれではなく、怪物と形容するほかになかった。
そのバイクを駆る者も、同じく人ではなかった。 大きさこそ人間と同じであったが、その姿は赤と黒に彩られた異形。 人間で言えば顔にあたる部分には、金色の角と、大きく赤い昆虫のような眼が輝いている。 傍目には、2体の怪物が争い合っているようにしか見えないことだろう。 2体の異形の生物は、そのまま資材基地の通路を疾走していく。
バイクは地下に入っていった。 その走行音は反響を伴いながら、次第に小さくなっていく。
「……『4号』か」
その姿を見送って、『都庁前』がつぶやいた。
赤と黒の異形の生物は、『未確認生命体 第4号』。 他の『未確認生命体』とは異なり、破壊も殺戮も行わない。 それどころか、『未確認生命体』から人々を守り、警察とともに戦ってくれているのだ。
人ならざるものに対抗するには、人の力では限界がある。 同じく人ならざるものの力をもって、制するしかないこともある。 蹂躙された東京において、『4号』は市井の人々の最後の希望であった。
ほとんどの人々は、『4号』の正体を知らない。 知っているのは、『未確認生命体』の対応にあたっている、一部の警察官たちだけである。 だが、『駅』たちは知っていた。
『4号』は、人間が古代の戦士の姿へと変じたもの――変身した姿であるということ。
そして、変身している人物は、人々の笑顔を守りたいと願う青年だということを。
けたたましい爆発音があたりを包んだ。 その音は地震のような揺れを伴って、地下深くから断続的に響いてくる。
『43号』との最終決戦における作戦は、実に単純なものだった。 この資材基地には、合計3枚の分厚いシャッターが存在する。 その三層構造をもって、強酸性の体液を伴った爆発に耐えさせるというものだ。
やがて音が止み、あたりが静まった。 次に響いてきたのは、バイクの轟音。 地上へと姿を現した黒く艶やかなその車体に跨っているのは、『4号』のみ。 『43号』の姿は見えない。 そして『4号』は振り返ることなく、バイクを駆っていずこかへ走り去った。
それは、あっという間の出来事だった。
「……成功、したみたいですね」
『新宿』が、ぽつりとつぶやいた。 そのまま黙って目を伏せる。 ここから、地下の様子を見ることはできない。 だが先ほどの爆発の音と揺れから考えて、シャッターの内側は悲惨な状態だろう。
『豊島園』は、しばらく『4号』が走り去った方向を見つめていた。 そして、誰に向けるともなく、つぶやいた。
「……お疲れさま」
その言葉に呼応するように、『都庁前』が背筋を伸ばした。 右手をゆっくりと上げ、肘を曲げたまま額の横で静止させる。 『豊島園』がそれに続いた。 最後に、無言のまま、『新宿』が腕を上げる。
最大の愛情と敬意を込めて。
人々の笑顔のために、異形となってまで戦う青年に。
自らの危険を顧みず、職務を全うしようとする警官たちに。
そして、彼らを「創って」くれた、この資材基地に。
「立派な、最期だったよ……」
敬礼したまま、『豊島園』はもう一度つぶやく。 その言葉は、途中から声にならなかった。
帰りの車中、『都庁前』と『新宿』は、終始無言だった。 その胸に去来する感情は、おそらく二人とも同じだった。 だからこそ、口に出すことができないでいた。 彼ら以外誰も乗っていないミラクル☆トレインの車内に、重い沈黙が流れる。
何度か『都庁前』が、隣に座る『新宿』の方を横目で見た。 そのたびに、『新宿』は興味の無さそうな顔で目をそらした。
やがて、都庁前駅が近づいてきた。
このまま、降りるわけにはいかないな。 『新宿』に聞こえないよう口の中だけでそうつぶやくと、『都庁前』は意を決して切り出した。
「……お前の言ったとおり、私たちは無力だ」
『新宿』が、声の主の方へ顔を向ける。
「私たちには、お客様を『未確認生命体』からお守りできるような力は無い。 それどころか、自分たちの路線にある施設ひとつすら、思い通りにすることができない。 ……できることといったら、お客様がお悩みを解決する手助けをしてさしあげることくらいだ」
『新宿』は、その声に若干の湿っぽさが含まれているのに気づいた。 だが、あえて気づかないふりをする。 中指で軽く眼鏡の位置を直し、『都庁前』は言葉を続けた。
「だが……いや、だからこそ、自分たちにできることをするしかない」
「一人でも多くのお客様に、本来の笑顔を取り戻していただくために――違うか?」
『新宿』は答えなかった。 やがて、列車は都庁前駅の降車ホームへと滑り込んだ。 列車が停止し、軽快な音と共にドアが開く。 『都庁前』が座席を立ち、そのドアをくぐった。
ドアが閉まる直前、『新宿』は軽く左手を上げた。
――。
開いた時と同じ軽快なリズムと共にドアが閉まり、『新宿』の言葉をかき消した。 だが、『都庁前』にはその言葉が確かに届いていた。
『新宿』は、ひとり残された車内で天井を見上げた。 クリーム色の低い天井と、そこから下がる吊り革の列。 そして、そのもっと上には、東京の街がある。
彼の――彼らの愛する、東京。
列車は新宿駅で停車し、そして誰も降ろさないまま発車した。 『新宿』はシートに身を沈めながら、その進行方向へと思いを馳せた。 この先は代々木、国立競技場――そして、その先は工事中。 青山一丁目、六本木、麻布十番、赤羽橋……。 ぐるりと円を描いて都庁前駅まで伸びる、大江戸線環状部。 その全線開業まで、あと2ヶ月半。
東京がこんな状態で予定通りに開業できるのか、一抹の不安はあった。 しかし、ただ心配するだけでは何にもならない。
「……違わねぇよ」
『新宿』は、先ほど『都庁前』に向けて言った言葉を、もう一度口にした。 自らの無力を嘆く前に、できることをするしかない。
やがて、ミラクル☆トレインは国立競技場駅のホームを離れた。 まだ一般の電車の入ることのできない、未開業の線路へと入っていく。 これから開業を迎える『駅』たちは、自分たちを創る礎となった資材基地を見ることは無い。 いつか思い出話を聞かせてやろう、と『新宿』は心に決めた。 その最期は、とても立派だったと。
流行りの歌のフレーズが、ふと『新宿』の口をついて出た。 それはちょうど、今の彼の心境にぴったりだった。
「……君を連れて行こう。悲しみのない、未来まで」
――それから2ヵ月半後、2000年12月12日。
大江戸線は、無事に全線開業の日を迎えたのだった。
END
参考資料:『空我 ― 仮面ライダークウガ マテリアルブック』
第43号を倒した場所が、現在は使われていない大江戸線の建設用地下資材基地であるという設定に基づいています。