Return and Return

「六本木。 ちょっと相談があるんだけど、聞いてくれるか?」

ある日の昼下がり、ミラクル☆トレインの車内。 いつものようにノートパソコンを膝に乗せて報告書を書いていた僕は、新宿さんに声をかけられた。

「うん、いいよ」

「ありがとう」

新宿さんは短くお礼を言って、僕の隣の座席に腰をおろした。 軽薄そうに見えて、相変わらずこういうところはきっちりとしている人だ。

それにしても、新宿さんから相談をもちかけられるなんて珍しい。

新宿さんは基本的にひとりで何でも解決してしまうので、いつもは僕から相談するか、逆に抱えている悩みを聞き出されることが多い。 話すことを強制されているわけではないのに、優しい口調で尋ねられたら、何もかも洗いざらい話してしまうのだ。

とびきり聞き上手で、聞き出した内容を元に的確なアドバイスをしてくれる。 そんな新宿さんが僕に相談なんて、いったいどんな内容なのだろう。 僕は膝の上のノートパソコンを閉じ、少しだけ新宿さんの方に体を向けた。

新宿さんは声をひそめて、その相談内容を話し始めた。

「俺が、とある男性から受けた恋愛相談なんだけど、いまいちいい答えが浮かばなくてさ。 お前にアドバイスをもらえたらいいなと思って」

「恋愛相談?」

僕は思わず聞き返してしまった。 そもそも相談されること自体が珍しい上に、それが別の男性からの相談だという。 しかも、恋愛相談。

「……それ、僕で役に立つのかな」

恋愛事は、新宿さんの一番の得意分野だ。 新宿さんの手に負えないような厄介な相談内容だとしたら、僕の意見なんて参考になる気がしない。 でも、新宿さんは首を横に振る。

「いや、ぜひお前の意見を聞きたいな」

「うん……」

押し切られる形になってしまったが、新宿さんがそう言うのなら特に断る理由もない。 それにいつも僕から相談してばかりなので、こうやって相談してもらうというのは少し嬉しい。

「それで、どんな相談なの?」

「ああ。 その男性にはとっても可愛い恋人がいるんだが、その恋人からバレンタインデーにチョコを貰ったんだそうだ。 それで、ホワイトデーのお返しに何を贈れば喜んでもらえるのか、悩んでいるんだと」

僕は新宿さんの次の言葉を待ったが、それ以上の説明は出てこない。

「……まさか相談って、それだけ?」

「それだけ」

そんなの、分かるわけがない。

一般論として、どういうものを贈ったらいいのかというアドバイスならできる。 プレゼントに最適な商品を扱っているお店も知っている。

でも、そんなことはわざわざ僕に聞かなくても、新宿さんも知っていることだ。 それどころか、おそらく新宿さんのほうが詳しい。

「えっと……そんなの、分からないよ。 一般的なアドバイスはできるけど、具体的に何が嬉しいかは本人にしか分からないし」

「だろ? そこで、お前にはその恋人の気持ちになって、何を貰ったら嬉しいかを考えてもらいたいんだ」

「ええっ!?」

そんなの、ますます分かるわけがない。

「その人の気持ちになるっていっても僕は男だし、そういうのは女性に聞いたほうが……」

「いや、お前に聞きたいな」

僕は精一杯反論するが、新宿さんは考えを変えるつもりはないようだ。 そして、どこか悪戯っぽい口調で付け足した。

「それに俺は、その可愛い恋人が『女性だ』なんて一言も言ってないぜ」

「……え?」

僕の頭の中が疑問符で埋め尽くされていく。

新宿さんは、とある男性からホワイトデーのお返しについての相談を受けたらしい。 そして僕に、その男性の恋人の気持ちになって、貰って嬉しいお返しの品を考えて欲しいという。

どうにも腑に落ちない。

まず、新宿さんが人から受けた恋愛相談をわざわざ僕に相談し直していること自体が珍しい。 そしてその相談者が男性同士のカップルだというなら、新宿さんのセンスで品物を選んであげればいいわけで、ますます僕に意見を求める必要がない。

いったいどうして、新宿さんは僕に相談してきたのだろうか。 わざわざ、『僕が』恋人からお返しに貰って嬉しいものを聞く必要なんてあるのだろうか。

まさか、その相談者って――。

「……そうだね、僕が思うに」

僕は自分の考えを確かめるために、ゆっくりと口を開いた。

「きっと、その男性は恋人のことをすごく大切にしてるんだよね。 そして、その恋人も男性のことがすごく好きなんだと思うんだ」

「……だろうな」

僕の言葉に同意する新宿さんは、どこか照れくさそうにしている。 それを確認しながら、僕は言葉を続ける。

「だから、わざわざお返しの品を用意しなくてもいいと思う。 ただ相手がそばにいてくれれば、それで嬉しいんじゃないかな」

「なるほど。 それは一理あるな」

新宿さんの顔が、すっと近づいてきた。 僕の目をまっすぐに見ながら、穏やかな口調で尋ねてくる。

「でも、その男性はどうしても何かお返しをしたいんだそうだ。 お前がその恋人なら、何が欲しい?」

何て答えようか、僕はちょっと迷った。 でもきっと、こう答えるのが正解なのだろう。

「……ケーキビュッフェ」

「甘いもののお返しなら、甘いものがいいんじゃない、かな……」

それが求められている答えだと分かっていても、ちょっと恥ずかしい。 新宿さんのまっすぐな視線から少し目を逸らしながら、答える。

「分かった、ケーキビュッフェだな。 伝えておくよ、ありがとう」

返ってきた嬉しそうな声に、内心僕は安堵した。 それと同時に、ふわりと柔らかい風が起こって、新宿さんが動いた気配がした。

「でも、ケーキビュッフェか……それいいな、俺も食べたい」

ずいぶん近くから聞こえた声に驚いて新宿さんのほうに視線を戻すと、目の前に新宿さんの顔があった。

「俺がお前に貰ったチョコのお返しも、それでいいかな?」

ほころんだ口元に、細められた瞳。 その優しい表情は僕に全ての決断をゆだねているようで、実際はたった一つの答えしか用意されていないのだ。 だから僕には、肯定しか選択肢はない。

それでも一応抗議だけはしておこうと、顔を背ける。

「……わざとらしい」

「何のこと?」

頬に、新宿さんの唇が押し当てられた。

もう僕の中の疑問は確信に変わっていた。

新宿さんが持ちかけてきた『相談』は、作り話なのだ。 僕から、ホワイトデーのお返しに欲しいものを聞きだすために、相談のフリをしただけ。

直接聞けばいいのに、どうしてこんな――キザなことをするのだろうか。

「で、どうなの?」

僕をあやすような、優しい口調で新宿さんが尋ねてくる。

「……それでいいよ」

視線を合わせないまま、僕は答える。 そのお返しをお願いしたのは僕だから、それを拒否する理由はない。

「よし、決まりだな。 楽しみにしててくれよ」

もう一度、頬にキスが落とされる。 こそばゆくて、でも離れてしまうととても名残惜しい。

心の中が、暖かい気持ちで満たされていく。 そしてそれにつれて、文句を言いたい気持ちと新宿さんを求める気持ちとの比率が交代していく。

もともと僕は、あまり人に自分の考えを話すのが得意じゃない。 でも、ひとたび新宿さんに話しかけられたら、話そうと思っていなかったことまで全部話してしまう。

話術そのものと本人の持っている魅力とが合わさって、抗うことができない。 それなのに不思議と、話してしまったことを後悔したりはしない。 抱え込んでいたことを全部話してしまった後は、まるで霧が晴れて青空が見えるみたいに、すうっと気分が軽くなっている。

そして、新宿さんのことをますます好きになってしまうのだ。

相談に対して真面目に回答しようと思っていた僕は、はたから見るとかなり滑稽なことだろう。 でも、空回りさせられたことなんて、どうでもいい。 こうやって尋ねられるがままに胸の内を全てさらけだして、新宿さんの言葉に、行動に、酔ってしまいたくなる。

僕は新宿さんの方に向き直った。

「新宿さん。 相談してきた男性に伝えておいてほしいことが、あるんだけど」

「何?」

「その恋人、きっとすごく喜ぶと思うよ」

新宿さんはどこか安心したように、そしてとても嬉しそうに目を細めた。

三回目は、頬ではなく唇に。

優しい心遣いやこの甘いムードへのお返しとしてはとても足りないかもしれないけれど、僕からそっとキスをした。

END