Step Over Illumination

新宿駅南口、新宿サザンテラス。 遊歩道の両脇に植えられた街路樹に青と白の光が灯され、全体が青く染まっている。 12月の代名詞ともいえる美しいイルミネーションで彩られたここは、まるで別世界への入り口のようだと思う。

何かが始まりそうな……そんな高揚感すら覚える。 俺が今日ここに大切な相手を連れて来たのには、そんな一抹の期待もあったのかもしれない。

「どうだ、綺麗だろ」

俺は、隣に立つ六本木の背中を軽く叩いた。

「うん」

六本木は、嬉しそうに俺を振り返った。

「連れて来てくれて、ありがとう」

クリスマス一色に染まったこの場所で、楽しげに笑いあっている二人。 そんな光景は、俺たちの性別を除けば、幸せなひと時を満喫するカップルにしか見えないことだろう。

だが、あいにくと現実はそうじゃない。

(……好きだ。 俺と……付き合って欲しい)

今から1ヶ月ほど前、俺は意を決して、自分の気持ちを六本木に伝えた。

六本木は一瞬驚いて、それから考え込んだ。 いつもそうするように、口元に手を当てて少し眉を寄せる。 しばらくの沈黙のうち、六本木はまっすぐな瞳で俺を見据えながら、熟考した末の答えを口にした。

(……ちょっと、考えさせて)

それから、別に何があったわけでもない。

ミラクル☆トレインに乗っている間も、避けたり、逆にくっついてきたりといった変化は一切無かった。 俺が隣に座っても、そのまま膝の上に乗せられたパソコンの画面を覗き込んでも、その拍子に肩がぶつかっても、顔色ひとつ変えない。 ただ、いつものように優しげに笑っているだけだった。

毎日毎日、狭苦しい閉鎖空間で顔を合わせている『同僚』……それも、同性から告白されたんだ。 正直に言って、気持ち悪がられるのは覚悟していた。

俺は、もしその場で断られたら、『ただの冗談』にしてしまうつもりだった。 六本木はタチの悪い冗談だと怒るかもしれないが、被害はそれだけに抑えられる。 不必要に六本木に負担をかけることもないし、何より、今の心地よい関係を壊さずに済む。

だが、六本木は返答を保留した。

その場合にどうするかは、考えていなかった。

迷える子猫ちゃんの悩みを解決するのが、俺の仕事。 だが俺はこの1ヶ月、ずっと自分のことで悩み続けている。

今日は、大江戸線の全線開業日――記念すべき、10回目の開業日だった。

久しぶりに俺たち大江戸線の『駅』が全員集まって、盛大なパーティが催された。 パーティというよりは、どんちゃん騒ぎ、と言った方が正確かもしれない。

まだ「12号線」と呼ばれていた頃に開業した先輩方は、「みんな大きくなって……」なんて感涙にむせんでいた。 それは別にいいのだが、つられて涙腺が緩んだらしい都庁に代々木が絡まれるわ、月島がありえない具材でもんじゃを焼くわ、とにかく混沌としていた。

パーティも終わりになってきた頃、俺と六本木は光が丘先輩に捕まった。 先輩は随分酔っていたようで、まず俺に食ってかかってきた。 どうやら、俺が以前に言った「ホームが深いってことは、それだけ俺の懐が深いってことだぜ」という言葉が、何故か先輩の耳にまで入ってしまっていたらしい。

ホームの深さが12メートルしかない自分は懐が狭いって言いたいのか、と先輩が俺の胸倉を掴みそうになったところに、近くにいた六本木が割って入った。 慌てて仲裁に来てくれたのだろうが、状況は余計に悪化した。

なにしろ、大江戸線でホームが一番深いのは、六本木駅。 それも、日本の地下鉄で一番深いのだ。 六本木もどうせそう思っているんだろう、となおも暴れる光が丘先輩を、練馬先輩と豊島園先輩が二人がかりで止めた。

「ああ、ごめんね。 僕たちでなんとかなだめておくから……二人は、悪いけど退席してもらえるかな」

豊島園先輩に言われて、俺たちはすごすごとパーティの会場を後にすることになった。

俺は、六本木に続いて退出しようとした。 その俺の背中に、豊島園先輩のいたずらっぽい声が投げかけられた。

「……がんばってねー」

振り返ると、練馬先輩に抱えられた光が丘先輩が、俺にウインクした。 その近くにいた練馬春日町先輩は、俺に向けて親指をぐっと立てる。

……まったく、何やってるんですか。

時計の針は、午後9時を差していた。 そのまま自分の部屋に帰ってもいい時刻だったが、あんな送り出され方をされた以上、そういうわけにはいかない。 どこから俺の置かれている状況が伝わったのかは知らないが、とにかく先輩命令は『絶対』だ。

俺のところのイルミネーションでも見ていかないか、と提案すると、六本木は快くそれを受けてくれた。 そして今、俺たちはここに立っているわけだが……。

そっと隣を見ると、青い光に照らされた、端正な横顔が目に入る。 その瞳には、目の前に広がる幻想世界への道を映している。

「……じゃ、行こうか。 今、奥にちょっと面白いモノがあるんだよ」

「へぇ。 楽しみだなぁ」

六本木は俺の方を向いて微笑んだ。

そのまま歩き出した六本木の左腕に、俺は右手を伸ばした。 その手のひらを握って、指と指を絡める。 それは、『恋人同士の』手のつなぎ方。

今の、ただの同僚で、友人で……俺の片想いなだけの関係では、振りほどかれても文句は言えない。 だが六本木は別に嫌がる素振りも見せず、俺から視線を外してつぶやいただけだった。

「……これ、恥ずかしいよ」

「暗いから誰も気付かないって」

そうかなぁ、といぶかしがりながらも、六本木はそのまま俺に歩調を合わせてくれる。 俺は内心、ほっと胸を撫で下ろした。

俺の告白は、まだ断られていない。 いくら俺が先輩だといっても、考えるまでもなく付き合いたくないと思ったら、その場で断るだろう。 つまり、考慮の余地があるくらいには、好意を持ってくれているということだ。

その上、こんな風に下心を持って体に触れても、払いのけられたりしない。 そのことに、俺はついつい淡い期待を抱いていまう。

そして反面、断られた場合のダメージの推定値は、どんどん上がっていく。

六本木からの明確な答えは欲しい。 でも、それが拒絶だったとしたら……俺は、立ち直れないかもしれない。 それならこのまま――何となく恋人のように振舞える、今の状態のままでいい、とまで思ってしまう。 たとえ今の状態が偽りのひと時であっても、今の関係が崩れてしまうよりは、ずっとマシだ。

たぶん、俺は『怖い』んだと思う。 拒絶されること……つまり、俺の隣から六本木がいなくなってしまうことが。 だから、自分から尋ねることができない。

今のお前は俺のことをどう思ってるんだ、と。

「……保留状態って……残酷だよなぁ」

俺は六本木に聞こえないように、口の中だけでつぶやいた。

遊歩道を歩くにつれて、辺りは二つの光に彩られ始めた。 向かって右手の木々に、青と白のライト。 左手の木々と低い植え込み一面に、黄色と白のライト。 寒々とした光と、温かみを帯びた光が混ざり合って、見事な調和を生み出している。

「うわぁ……」

六本木の口から、感嘆の声が漏れた。 興味深そうに辺りを見回し、JR東日本本社ビルの前にあるモニュメントに目を留めた。 それを覗き込んで、屈託のない笑顔を見せる。

「あ、Suicaのペンギンだ……可愛いなぁ」

JR東日本が誇るマスコット――Suicaのペンギンが、帽子とマフラーを身につけ、雪をモチーフにした光の海で遊んでいる。

可愛いよね、と同意を求められて、俺は『お約束』なセリフを口にした。

「そうだな。 ……でも、お前の方が可愛い」

六本木は一瞬目を丸くして、それから照れくさそうに笑った。

「……真顔でそういうこと言われると、すごい照れる……」

……本当に、可愛い。

ペンギンには申し訳ないが、比べ物にならない。

馴染みのドーナツ屋の脇を通りすぎると、俺たちの前に小さな広場が現れた。 その広場の中央には、白いフレームを組み上げて作られた、大きなツリーのようなモニュメントが置かれている。 その高さは、人の身長の5倍程度だろうか。 結構な大きさだ。 フレーム自体もぼんやりと白い光を放っており、まさしく雪をかぶったクリスマスツリーのようだ。

そのツリーは中心が通り抜けられるようになっており、その前には小さな列ができていた。

「新宿さんがさっき言ってたのって、あれ?」

六本木が俺を振り返って、尋ねた。

「そう。 カップルの未来を占っちゃう、スグレモノだ」

ツリーの中央には、人の腰ほどの高さの四角柱が据えられている。 それに取り付けられたボタンを押すと、5色のライトのうちのどれか、または全てが点灯する仕組みだ。 その色によって、押した人の未来を「表す」……というのが、このモニュメントの趣旨。 ここにイルミネーションを見に来たカップルならやっておいて損はない、デートスポットだ。

……まあもっとも、俺たちはカップルではないわけだが。

俺の説明を一通り聞いた六本木は、不思議そうな顔をした。

「でも、カップル限定ってわけではないんだよね?」

六本木の言うとおり、このモニュメントのどこにも「ボタンは二人で押してください」などとは書いていない。 だが、ボタンを押す順番を待つ列に並んでいるのは、仲睦まじい様子のカップルばかりだ。

「まぁ、そうなんだが……でもこれ、男一人で押したら、すげー切ないと思うぞ」

「たしかに……って、まさか、新宿さん?」

六本木が、はっとした表情で俺を見る。

「あれを一緒に押せとか、言わないよね……?」

「え? そのつもりで連れてきたんだけど?」

「ええっ!? だって、僕たち、カップルってわけじゃないし……それに、男二人で押すっていうのも……」

さっき自分で再認識したことだが、あらためて口に出されると、ちょっと辛い。 そう、俺たちはカップルじゃない。 たとえ手をつないでいても、だ。

「いや、男二人で押してるの、結構見たぜ。 大学生のグループとか、酔っ払いのサラリーマンとか」

「……それ、ネタで押してるんでしょ?」

六本木は、どうも気乗りしないようだ。 だが、ここで引き下がったら、後で先輩方に何を言われるか分かったものじゃない。 俺は六本木の手を握った右手に、少しだけ力をこめた。

「ま、いいじゃないか。 こういうのはノリだよ、ノリ」

「……しょうがないなぁ。 じゃあ、友達としての未来を占ってもらおうよ」

「……『友達』、か……」

俺が思わず口に出した言葉に、六本木が気まずそうな表情になる。

「……ごめん」

「いや、すまない。 気にするな」

そんな顔をさせたいわけじゃない。

俺の勝手な想いのせいで、六本木を苦しめたくはない。

最初は、六本木の方が俺を気にしていた。 よく似た土地柄の俺のことが気になるらしくて、色々と俺に尋ねてきていた。 時には張り合ったりもした。 そんな状況だったから、俺も自然と六本木のことを気にかけるようになった。

乗客の悩みを解決するために、自分にできることを必死に頑張っている姿が、とても健気だった。 何気ない仕草が、優しい笑顔が、とても可愛かった。

すごく真面目なわりに、夜になると極端に不真面目で。 一度考え込み始めると止まらなくて、そのくせ時々ピントがズレていて。

弟たちとはまた違う、「放っておけない」存在。

俺は、いつの間にか六本木を目で追っていて……いつの間にか恋に落ちていた。

六本木は、あまり自分の思いを表に出そうとしない。 だから、この手をつないでくれている意味は分からない。 気持ちが傾いている証拠なのか、それとも哀れな俺への同情なのか。

嫌なら嫌だと、はっきりと伝えてほしい。 フられたらそりゃショックだが、それで傷つくのは俺の勝手だ。 六本木がきちんと断れずに苦しんでいるのなら、そんな状況はもっと嫌だ。

それでも、手のひらから伝わるぬくもりはとても愛しくて、俺は握る右手にさらに力をこめた。 できることなら離したくはない。

勝手に想いを寄せて、勝手に期待して、そして勝手に悩んで。 もし六本木の真意が拒絶なのだとしたら、俺はとんだ道化だ。

「新宿さん?」

呼びかけられて、俺は我に返った。 六本木が至近距離で、俺の顔を覗き込んでいる。

「……難しい顔、してるよ」

六本木が、空いている右手で自分の眉間を指差した。

「ここ、寄ってる。 都庁さんみたいになってるよ」

「……俺はあんなに生え際がキてません」

「ふふ。 それ、言ったら怒られるよ?」

六本木は、楽しそうに笑った。

それでも……俺は、お前が好きだよ。

列に並んでから数分で、俺たちの番がやってきた。

ボタンがつけられた操作パネルには、ライトの色の説明も書かれている。

ブルーが『堅実な』未来。

グリーンが『豊かな』未来。

レッドが『情熱的な』未来。

イエローが『幸せな』未来。

ピンクが『あま〜い』未来。

そして5色に点灯するレインボーが『めくるめく』未来。

当たり前だが、どの色が灯ってもいい結果が待っている。

「うーん、やっぱりカップル向けだなぁ」

六本木は色の説明をまじまじと読んで、つぶやいた。

「まあな。 友達同士でレインボーとかになったら、どうすればいいのやら、だな」

「いっそ、突き抜けちゃえばいいのかも」

「……今、何て言った?」

俺が質問すると、六本木は少し気まずそうな表情になった。

「なんでも、ない……」

軽く首を横に振って、俺とつないでいた手を振りほどく。 空になった右手が、妙に冷たく感じた。 六本木はその手を、パネルへと伸ばす。

「せーの、で押すよ」

「……ああ」

小さなボタンの上で、指先がもう一度触れた。 次の瞬間、俺たちの周りを、ツリーを覆う白色以外の色が包んだ。

「……わぁっ」

「ピンク……か」

どこか大江戸線のラインカラー、マゼンタ色を彷彿とさせる、暖かな光。 その色が表すものは――『あま〜い』未来。

「甘い……未来かぁ」

六本木は目を細めて、ピンク色に染まるツリーを眺めていた。

俺たちは、ツリーを反対側へと通り抜けた。 この小さな広場は、周りを取り囲んでいる店舗の照明のおかげで、歩道部分と比べてかなり明るい。 店の白い壁にはイルミネーションの青いライトが反射して、一面青く染まっている。

少し話をしたくて、俺はそのまま、六本木を広場の端の方まで連れて行った。

そこからツリーを振り返ると、カップルらしい男女が肩を寄せ合いながらボタンを押して、笑い合っているのが見えた。 誰かがボタンを押すたびに生まれる様々な色の光を、俺たちはしばらく眺めていた。 彼らには、色のとおりの幸せな未来が待っているのだろう。

俺たちには……どうなのだろうか。

「友達同士の甘い未来って、どんなのだろうな?」

「うーん……」

俺が尋ねると、六本木は眉を寄せて考えこみ始めた。

不用意に質問すると、後が長い。 俺はやや強引に話題を変えた。

「……まぁ、あれだ。 手始めに、甘いドーナツでも食いに行こうぜ」

「うんっ!」

六本木は元気よく答える。 その顔に浮かんでいるのは、満面の笑みだ。 まったく、ある意味、花より団子というべきか。

「……史ちゃん? 知らない人からお菓子を貰っても、ついて行っちゃいけませんよー?」

「そっ……そんなことしないよっ」

俺が茶化すと、六本木の頬がみるみる赤くなった。 小声でなにごとかをつぶやきながら、俺から視線を外す。

「ほんとかー?」

「……ほんとだって」

その頬を軽くつつくと、六本木はくすぐったそうに身をよじった。

なんとなく甘いムードを満喫しながら、俺はさりげなく次のデートの予約を取りつけることにした。

「悪い人に連れて行かれる前に、俺がドーナツおごってやるよ。 だから……来週の俺の誕生日にも、また来ようぜ」

「うん、いいよ」

あっけなく許可された。 こうなると、本当に甘いもので釣れるんじゃないかと思ってしまう。

……もう一言、付け足しても大丈夫だろうか。

「次は友達じゃなくて……カップルとして来たいんだけどな」

それを聞いた六本木が、一瞬目を見開いた。 そして、また気まずそうに顔を伏せる。

「それは……」

「……いや、いい。 忘れてくれ」

やっぱり、付け足さない方がよかったようだ。 若干の後悔に沈んでいた俺の言葉を遮るように、六本木が続けた。

「ごめん……自分でも、よく分からないんだ」

「新宿さんに告白されてから、ずっと考えてた。 男同士なのにとか、なんで僕なんだろうとか。 でも、分からないんだ」

「俺がお前を好きな理由? 前にも言っただ……」

「……それだけじゃない」

俺は黙って、六本木の次の言葉を待った。 しばらくの沈黙の後、六本木は注意していなければ聞き取れないほどの小さな声で、話し始めた。

「……僕自身が新宿さんのこと、どう思ってるのかも分からない。 毎日毎日ずっと考えてるけど、頭の中がぐちゃぐちゃになるだけで、全然答えが出なくて……」

六本木は軽く頭を振った。

「だから、手を握られたりしても……どう反応すればいいのか分からないんだ」

今まで、俺の行動に対して何もしてこなかったのは、そういう理由だったらしい。 どうしたらいいのか分からないから、今までどおりの反応をしていた、というわけだ。

手を握らせてくれた理由が、「俺に気を許しているから」でなかったのは、少し残念だ。 だが、変に遠慮していたわけではないと分かって、俺は安堵した。

まだ明確に心を決めていないのなら、口説いてみる余地がある。

……先輩方にも、頑張れって言われたしな。

「よし。 それじゃあ、この新宿お兄さんが、どうしたらいいか教えてやろう」

「……お兄さんって……」

うつむいていた六本木が顔を上げて、くすりと笑った。 暗くなっていた表情に、少しだけ明るさが戻る。

「目を閉じて」

その言葉に、六本木はきょとんとした表情を浮かべた。 そして特に警戒する様子もなく、俺に言われたとおりに目を閉じる。

「……これでいい?」

一瞬、俺は試されているのかと思った。 このままキスをするのか、それともしないのか、俺の出方を見ているんじゃないかと。 だが、それにしては目の前の相手は無防備すぎた。

「……うん。 そのまま、動かないで……」

俺は六本木の顔に自分の顔を近づけた。

ちゅ。

小さく濡れた音がして、俺の唇に六本木の肌の感触が伝わる。

「……え?」

俺の耳のすぐ近くで、六本木の声がする。 それは次第に、混乱したものになっていく。

「え、ええ……っ!?」

名残惜しいが、俺はひとまず顔を離した、 六本木はキスされた箇所――自分の頬に手を当てて、慌てきった顔で俺を見ている。

「し、新宿さん……っ!?」

「……『目を閉じろ』っていったら、普通キスだろうが。 まったく、この天然が……」

「な……」

何か言いかけた六本木の目の前に、俺は右手を突き出した。

ぱちん。

少し力を入れて指を鳴らす。 次の瞬間、六本木の首元には、先ほどまではなかった黒いマフラーが巻かれていた。

「え……?」

六本木は不思議そうに、それの感触を確かめる。

見た目は『人』とほとんど変わらない俺たち『駅』が、『人』と決定的に違う点。 それは、こういった、ちょっとした芸当ができるということだ。

六本木は突然マフラーが出現したこと自体には納得した様子で、今度は俺の首元に目をやる。 俺の首には、ここに来たときから青色のマフラーが巻かれている。

「これ、もしかして……?」

「そ、おそろい」

「俺からの誕生日プレゼントだ。 気に入ってもらえると嬉しいな、子猫ちゃん」

とびきり甘い声色でそう囁いて、おまけとしてウインクもつけた。 六本木は何度か目をしばたたかせて、それから、恥ずかしそうにマフラーに顔をうずめた。

「……ありがとう」

六本木はそうつぶやくと、はにかんだ笑顔を向けてくれた。

それがあまりにも可愛らしくて、俺は今すぐ抱きしめてキスしたい衝動に駆られた。 六本木の肩に伸ばそうとした手を、必死に理性で押さえ込む。

お互いの駅のメインカラーに合わせた、おそろいのマフラー。 片想いされている相手から贈られる誕生日プレゼントとしては、結構『重たい』ものだと思う。 俺も、これを贈るべきか否か、散々悩んだ。 だが六本木はそれを受け取って、しかもこんな笑顔を見せてくれた。

……期待しちゃうぞ?

俺は六本木の肩を抱く代わりに、背中を軽く叩いた。

「ま、俺への返事は、好きなだけ悩めばいいさ」

「うん……」

六本木はうつむき加減で答える。 その指先は、おそらく無意識に、マフラーの表面をなぞっている。 どうやら気に入ってもらえたようで何よりだ。

「……と言ってやりたいところだけど、俺もそろそろ待つのに飽きた」

「え?」

「来週の俺の誕生日……それまでに答えが出ていない場合……」

俺は目の高さに人差し指を立てた。 その指先に六本木の視線を感じながら、そっと自分の唇にあてがう。

「お前のキスを、プレゼントに貰うからな」

「……っ!」

六本木が息を呑んだ。 その頬に、見る間に赤みが差していく。

無理やりキスしたら、口説き落とす自信はある。 でも六本木がここまで悩んでしまった状況では、それでは意味がない。 六本木には徹底的に自問してもらって、その結果として俺を選んでもらわないと、本当に落としたことにはならない。

でもいずれ、六本木は俺との関係にきちんと答えを出してくれる。

その答えは、拒絶かもしれない。 俺はずっとそのことを――友達として俺の隣のシートに座ってもらえなくなることを、恐れていた。 だが、先ほどからの行動を見るに、そんな最悪の結果にはならないだろう。 深い間柄にはなれなくても、以前のように同僚として、そして友達として笑い合うことはできる。 それが分かっただけで、俺は随分と気が楽になった。

ただ、今日の態度を見る限り……もしかしたら、その答えは承諾になるかもしれない。

……だから先輩方、今日のところはこれで勘弁してください。

俺は、素敵にお節介な先輩たちに向けて、心の中で謝罪した。

その間、当の六本木は、頭を抱えてうつむいていた。 ひどく悩んでいるようで、下を向いていてもその眉が深く寄っているのが分かる。

「六本木」

「うう……っ」

俺が呼びかけると、六本木はちょっとだけ顔を上げた。 瞳が少し涙で滲んでいる。

俺は別に、本気で来週までに答えを出して欲しかったわけじゃない。 キスの話題にかこつけた、ほんの冗談だ。 混乱している様子は実に可愛らしかったが、あまりイジワルをするのも可哀想なので、早めに誤解を解いてやることにした。

「ごめん。 今のは冗……」

冗談だよ、好きなだけ悩んでいいぜ。

そう言いかけた俺の言葉を、六本木が遮った。

「わあああああああぁぁっ!!」

それは、絶叫と呼んでも差し支えないほどの大声だった。 広場にいる人々が、何事かと一斉にこちらを振り返る。 だが、一番面食らったのは俺だ。 俺は、そんなに六本木を追い詰めるようなことを言ってしまったのだろうか。

「ろ、六本木……? 一体どうし……」

「新宿さんっ」

六本木は再び俺の言葉を遮り、俺に詰め寄った。 俺の肩を掴んだ六本木の目は、大きく見開かれていた。 それと対照的に、頬はひどく赤い。

「分かった……分かったんだ」

「何が……」

六本木は、俺の疑問を完全に無視した。 肩を掴んでいた手を、そのまま俺の首の後ろに回して、顔を近づけてきた。

「来週までは……待てない」

俺の唇に、六本木の唇が触れた。 それは冬の冷たい空気の中でも、ほのかに温かい。

「ろ……」

言葉が出てこない俺の前で、六本木は照れくさそうに目を伏せて、小さく笑った。

「やっと分かった。 僕、新宿さんのことが……」

街も、行き交う人々も、聖なる夜を祝う光に誘われて、ふわふわと浮き足立つ季節。 その気分のせいなのか、それとも、ひとつ大人になった高揚感のせいなのか。 はたまた、10回目の全線開業日という記念すべき日に合わせて、『奇跡』でも起こったのか。

六本木の心の中で何があったのか……それは俺には分からない。

だが、この真っ白なツリーのモニュメントを設計した人物が、天才だということは分かる。 俺たちに示されたピンク色の光が表すものは、『あま〜い』未来。

その未来には、寸分の狂いもなかった。

「……好きなんだ、って」

六本木からしてくれたキスは、とても甘かった。

それから二人で食べたドーナツも、そしてその夜も……とても、とても甘かった。

END