Morning Firewall -type B-

「……み、ふみ」

ぼんやりとした意識の向こう側から、誰かが僕の名前を呼ぶ声が聞こえる。 でも、その「誰か」が誰なのか、僕はよく分かっている。 その呼び方で僕を呼ぶのは、今のところ、あの人――凛太郎さんしかいない。

重たいまぶたを無理やりこじ開けると、優しい笑顔が僕を迎えてくれた。

「史、朝だぞ。 起きろ」

飴色の髪の毛がふわりと揺れて、同時に、僕の額に暖かい手が触れた。 凛太郎さんの指先が、僕の前髪をそっとかき分ける。 少しくすぐったくて、でもその柔らかい熱が心地よくて。 霞がかかっていた頭の中が、だんだんとクリアになっていく。

「……おはよう、ございます」

僕が挨拶すると、2倍になって返ってきた。

「ん、おはよう」

凛太郎さんの顔が近付いて……僕の目元にその唇がつけられる。 指先よりもずっと高い熱と、肌をくすぐる吐息。 凛太郎さんが体を起こしたときには、僕は完全に目が覚めていた。

朝からこの調子じゃ、心臓に悪い。 毎朝のことなのでだいぶ慣れたけれど、もうちょっと普通に目覚めさせてほしい。 僕は小さくため息をついて、上体を起こした。 そして早くなった鼓動を落ち着かせようと、無意識に胸元に手をやった。

……あれ?

パジャマの布をつかもうとした指が、肌に当たった。 まじまじと自分の姿を確認すると、パジャマのボタンが、ひとつを残して全部外れている。

どうしてだろうと考えかけて、直後に僕はその原因を思い出した。 そのせいで、またさらに鼓動が早くなる。

「ん? どうした?」

そんな僕の態度に気づいたのか、凛太郎さんが笑いを含んだ声で尋ねてきた。 ベッドの縁に腰掛けて、楽しそうに僕を振り返る。

「昨夜のこと?」

「……う……」

恥ずかしくて、とても顔を見られない。

昨夜僕は、凛太郎さんと一緒にベッドに入った。 それは毎日のことで、その後の凛太郎さんの行動も決まっていた。 その日もいつものように、凛太郎さんは僕の髪の毛を指に絡めて、梳いたり弾いたりして遊んでいた。

何が楽しいのか知らないけれど、それが凛太郎さんの日課だった。

そしてだいたい、さらにその後の行動も決まっているけど……昨夜はちょっと違った。 凛太郎さんに髪の毛をいじられているうちに、僕はどんどん夢の世界に引きずりこまれていった。

というのも、僕がひどく疲れていたからだ。 その日ミラクル☆トレインに乗ってきたお客さんの悩みは、探し物だった。 大切な思い出のつまったキーホルダーを、あろうことか新宿の雑踏の中で落としてしまったその子。

メンバー総出で探し回って……結局、そのキーホルダーは新宿駅の駅前――の街路樹にかけられていたカラスの巣の中から見つかった。 灯台下暗しだったね、ってみんなで笑いあって、その子も笑顔で降車していった。

だけどあちこち探し回ったせいで、わりと体力に自信のある僕も、さすがにくたくただった。

凛太郎さんの体重が、僕の上にかかってきたのは覚えている。

それから、頬や首筋にキスをされて……パジャマのボタンに手をかけられた。 凛太郎さんは上からひとつずつボタンを外しながら、僕の肌に口付けていく。 それが心地よくて、僕はますます眠りの淵に落ちていった。

(……史?)

凛太郎さんが顔を上げた。 僕の顔を覗き込んで、尋ねる。

(眠そうだな。 大丈夫か?)

(へーき……)

僕が夢うつつで答えると、凛太郎さんは少し困ったように笑って、僕のまぶたにキスをした。

……そこで、僕の記憶は途切れている。

「……ゆうべは、ごめんなさい」

うつむく僕の頭を、凛太郎さんの手がぽんぽんと叩いた。 その表情は、怒っているわけでも、あきれているわけでもない。 優しい眼差しで、ただじっと僕を見つめている。

……それが、かえって申し訳ない。

でも、次の瞬間に凛太郎さんの口から飛び出したのは、思いがけない言葉だった。 僕の耳元に顔を寄せて、耳たぶに唇が触れるか触れないかの距離で、甘く囁く。

「じゃあさ、今から……する?」

「なぁ……っ!?」

僕は思いきりすっとんきょうな声を上げた。 反射的に身を引く。 でも、僕はベッドの上で上半身だけ起こしている体勢。 腰まで上掛けのシーツがかかっている状態では、たいした距離が取れるはずもない。

「じょ、冗談はやめてくださいっ! そんな、朝から……そ、そもそも、そんなことしてる時間、ないですし……っ!」

僕は一気にまくしたてて、のしかかってくる凛太郎さんの体を必死に押し戻す。 だがそんな抵抗もむなしく、僕の体は再びシーツの海に沈められてしまった。

「史だって、その気だったんだろ? なら……」

「や……だ、だめっ!」

凛太郎さんの手が、留まっているパジャマのボタンへと伸びる。 僕の記憶が合っていれば、ボタンは全部外されたはず。 それがひとつだけ留まっているということは、僕が眠りに落ちた後で、凛太郎さんが留め直してくれたということになる。

そういう優しいところが好き……だけど、今はそれどころじゃない。

凛太郎さんが再度そのボタンを外すより先に、僕の手がそれを掴んだ。 体を重ねることが嫌なわけじゃない。 でも、それは時と場合による。

今日は、朝早くからミラクル☆トレインにお客さんが乗って来る予定になっていた。 そんなことをしていたら、とても乗車予定時間に間に合わない。

「だ……だめ、ほんとにだめっ!」

搾り出すように僕が叫ぶと、凛太郎さんの動きが止まった。 おそるおそる表情をうかがうと、凛太郎さんは困ったように眉を寄せていた。 そして、ふてくされたようにそっぽを向くと、小さな声でつぶやく。

「……冗談だったのに、そんな全力で嫌がるなよ……」

凛太郎さんは、ゆっくりと僕の上から体をどかせた。 再びベッドの縁に腰掛けて、小さくため息をつく。 でもその言葉は、いまいち信じられない。

「ほんとに……冗談だったんですか?」

「……あー、そういうこと言う? そりゃ史とイイコトしたいけどさ、さすがに悩める子猫ちゃんをそっちのけで迫ったりしないって」

「……嘘ばっかり」

少し意地悪だと思ったけれど、僕はその言葉を否定した。

心臓の鼓動は、いまだに早いままだ。 朝からこんな気分にさせられたのだから、少しぐらい愚痴を言っても、バチは当たらないと思う。

凛太郎さんが、大きく伸びをして、これ見よがしにため息をついた。

「……あーあ、史に信じてもらえないなんて、俺、今日やる気出ないわー」

「やる気出ないって……」

いつものことでしょ、と言いかけて、途中でやめた。

凛太郎さんは大人ぶっている――まあ、実際に大人なんだけど――わりに、子供っぽい部分も多い。 一度ふてくされてしまうと、機嫌を直してもらうのは結構骨が折れる。 これ以上こじらせてしまうようなことは、言わない方がいいだろう。

でも、ちょっと遅かったらしい。

「俺、今日は子猫ちゃんの相談事をまともに聞ける気がしない。 行くだけ無駄だわ」

凛太郎さんはきっぱりと言い放つと、再びベッドにもぐりこんできた。 僕の背中のあたりにあった枕を掴んで胸元に引き寄せると、それに顔をうずめる。

「ちょ、ちょっと、凛太郎さん!」

僕は凛太郎さんの肩をつかんで揺すった。 でも、彼は動こうとしない。 僕に背を向けて、拗ねた子供のように、枕を抱え込んでいる。

……まずい。 完全にこじらせてしまった。

もしかしたら、凛太郎さんは本当に冗談のつもりだったのかもしれない。 だからといって、僕が本気で抵抗したのは、責められることじゃないはずだ。 起き抜けに真顔で押し倒されて、本気にしないほうがおかしい。

でも今の凛太郎さんにそれを言っても、かえって悪化させるだけだ。 僕は別の方法を取ることにした。

「……その手には乗りませんよ。 貴方が、困ってるお客さんを放っておくはずがない」

なんだかんだといいながら、凛太郎さんはとても面倒見がいい。

弟分がいるせいなのか、それとも生来の気質なのか、面倒くさがりながらも周囲のことをちゃんと見てくれている。 もちろん、それはお客さんに対してもまったく変わらない。

前に一度、女性しか乗れないはずのミラクル☆トレインに、手違いで男性のお客さんが乗ってきてしまったことがあった。 凛太郎さんは相手が女性じゃないからと露骨に嫌そうな態度を取っていたけど、結局、一番熱心にアドバイスしていた。

凛太郎さんはそういう人で、だからこそ……僕は彼を好きになった。

たまに「俺がいなくても、他の奴が頑張ってくれるだろ」なんて言って、『仕事』をサボることもあるにはある。 でもそれは、僕やみんなのことを信頼してくれているからだと、僕は思う。

だからといって、積極的にサボっていいわけじゃないし、凛太郎さんだって本意じゃないだろう。

それは凛太郎さんにも伝わったらしく、まだ不機嫌そうな表情ながらも、ちょっとだけ僕の方に顔を向けてくれた。 しかしまだ足りなかったようで、また反対を向いてしまう。

「……じゃあ、子猫ちゃんが乗ってない間はずっとシートで寝てるわ。 都庁がピリピリして、車内の空気が悪くなったら史のせいな」

「な、なんでそうなるんですか……っ」

これじゃ埒が明かない。 そうこうしている間にも時間は過ぎていく。 このままでは、二人揃ってお客さんの乗ってくる時間に遅刻しかねない。

凛太郎さんは依然として、僕の方に背を向けて寝ている。 僕はその肩に手をかけ、強引に上を向かせた。 不機嫌そうに眉を寄せる凛太郎さんと目が合う。 それには構わず、僕は顔を近づけた。

「……ほんとに、もう……っ!」

是が非でも、今すぐに機嫌を直してもらわないと困る。 言葉による説得が通用しないなら、もう、これしかない。

お互いの唇が重なった。

その感触を確認して、凛太郎さんの唇の隙間から、そっと舌を滑り込ませてみた。 どうしても照れくさくて、自分からはあまりやらないけど……今回は特別サービス。

「……ん、んっ……」

舌を動かすと、くちゅりと濡れた音が口内に響いた。 僕の舌が凛太郎さんの舌に当たる。 それが柔らかくて、熱くて……いつも僕の口の中でしか感じていないその感触に、めまいがしそうだった。

唇を少しずらすと、凛太郎さんの、鼻にかかった甘い声が聞こえてきた。

「ん……」

とろけそうな余韻を持ったその囁きのせいで、さらに胸の鼓動が激しくなる。 押し倒された時の早さなんて、もうとっくに越えている。

……もう、限界。

僕は、凛太郎さんを押し返すように唇を離した。

「……史」

とろんとした瞳で、凛太郎さんが僕に微笑みかける。 頬は紅潮して、息も少し荒いようだ。 唇が互いの唾液でしっとりと濡れて、ひどく色っぽい。

僕はあわてて凛太郎さんから視線をそらした。 ずっと見つめていたら……またキスしてしまいそうだ。 これじゃ、さっきの凛太郎さんのことを怒れない。

「機嫌……直りました?」

僕は凛太郎さんの上から、体を起こそうとした。 それを引き止めるように、凛太郎さんが僕の首に腕を回す。

「ん……機嫌は直ったけどさ」

「……なんですか」

「別のところが……ちょっとタイヘン」

僕の頬を撫でながら、凛太郎さんは苦笑する。

僕がその言葉の意味を図りかねていると、凛太郎さんは視線でそれを指し示した。 凛太郎さんの腰から下を覆っている、上掛けのシーツ。

「……?」

「ごめん。 今のキスで勃っちゃった」

今のキスで……って、えええっ!?

「な、な……っ」

ろくに言葉が出てこない。 体中の血液が集まったんじゃないかと思うくらい、顔が熱くなる。 凛太郎さんはもう一度苦笑して、僕から手を離した。

「史は支度して、先に行ってろ。 俺は……自分でなんとかしてから行くから」

「え……」

「史まで遅刻させられないからな。 ……ほら、早くしないと引きずり込むぞ?」

言いながら、凛太郎さんは上体を起こした。 早く行け、と僕を手で払う仕草をする。

さすがに、引きずり込まれてもいい、なんて言うつもりはない。 でも、僕がキスしたことが原因だとしたら、責任はある。 それに、昨夜僕が途中で寝てしまったのがそもそもの原因なのだから……僕がなんとかしないといけない。

二人揃って、『出勤時間』に間に合うために。

「……凛太郎さん。 目、つむってください」

「ん?」

「いいから。 ……絶対、開けちゃだめですよ」

「……ああ」

凛太郎さんは目をつむって、軽く顎を引いた。 目をつむってくれと言われたら、普通はキスすると思うだろう。

……でも、それじゃ足りないから。

僕は凛太郎さんの腰に掛かっているシーツに手をかけ、まくり上げた。 白いシーツの下から、僕が着ているのと同じパジャマが覗く。 ズボンの布地が部分的に引っ張られていて、窮屈そうだ。

どうやら、サボるための言い訳ではなかったらしい。 できればそうであって欲しかったけど、もう覚悟を決めるしかない。

「史……? 何して……」

凛太郎さんの疑問をさえぎるように、僕はズボンのウエストに指をかけた。 そのまま、下着と一緒に引き下げる。 凛太郎さんは足を投げ出して座っているので、きちんと脱がせられないけれど、目的のためには十分だ。

目の前に現れた、太く張り詰めたそれを、僕は一思いに口に含んだ。

「……ふ、史!?」

頭の上から、凛太郎さんの混乱しきった声が聞こえる。 僕はそれをいったん口から離し、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

「遅刻なんか、させないから……」

「史……」

「一人で、するより……この方が早いでしょ」

そっと舌を這わせると、凛太郎さんの体がぴくりと揺れる。

「……分かった。 頼むよ」

少しの沈黙の後で、凛太郎さんは自分でズボンと下着を膝の辺りまで引き下ろした。 僕が咥えやすいように、という配慮だろう。

僕は行為を再開する前に、凛太郎さんに念を押した。

「……目、ちゃんとつむって」

こんな姿、とてもじゃないけど見られたくない。

すること自体が嫌なわけじゃない。 ただ、朝から……それも、僕から進んでしているなんて、恥ずかしさと後ろめたさとで、どうにかなってしまいそうだ。

「開けちゃだめですよ……?」

「……うん」

凛太郎さんは目を閉じて、僕の頭を撫でた。 子犬でも撫でるような、すごく、優しい感触。

うながされるように、僕はもう一度凛太郎さん自身に口付けた。 根元を持って、先端を少しだけ口に含む。

「んむ……」

そのまま舌で転がすと、ちゅく、と濡れた音が漏れる。 その音がもっと響くように、僕はわざと口を開けたまま舌を動かした。

……とにかく、興奮してもらわないと。

ちゅぷちゅぷと音を立てて舐めると、口の端から唾液がこぼれる。 時折それを手の甲で拭いながら、僕は凛太郎さんを責め立てた。

「……いいよ、史……そのまま続けて……」

次第に、凛太郎さんの声に艶が増してきた。 その低くて甘い声を聞くと、逆に僕の頭がクラクラしてくる。

……感じて、くれてる?

僕はたどたどしく、相手の名前を呼んだ。

「りん、たろう、さ……っ」

唇が動くのに合わせて甘噛みすると、凛太郎さんの体が跳ねた。 むくりと大きくなったそれが、反動で僕の口からこぼれそうになる。

「かは……っ」

咥え直すと、それは僕の口の中でひくひくと息づく。 喉の奥まで貫かれるんじゃないかというほどの圧迫感。

「ん、んぁ……っ」

こらえきれなくなって口から離すと、じゅるりと唾液が糸を引く。 最初は演技だったけど……もうそれどころじゃない。

咥えこむのは断念して、今度は、歯が当たらないように注意しながら少しだけ口に含む。 緩急をつけて先端を舌先で転がしていると、凛太郎さんが僕の肩を押し返した。

「史……やばい……」

ちらりと上を覗き見ると、凛太郎さんは苦しそうに肩で呼吸していた。 頬は赤く、眉は切なげに寄っている。 でも、その瞳はちゃんと閉ざされていた。 絶対守らないだろうと思っていたから、ちょっとおかしい。

……そういう、案外真面目なところも好きです。

大好きな凛太郎さんが僕の愛撫で感じてくれていることが嬉しくて、僕は口に含んだモノを強く吸い上げた。

「……っ! こら、史……」

「ん、んん……っ!」

凛太郎さんの体が弓なりに反って、肩がさらに強い力で押された。 口を離せ、ということなのだろうけど、それには従えない。

僕の口の中のそれは、ひときわ大きく脈打って……僕の口いっぱいに白い精を吐き出した。

吐き出されたものをどうにか飲み込むと、凛太郎さんに頭を撫でられた。 でも、さっきのように優しい手つきではなく、乱雑に髪の毛を乱される。

「……こら」

呼吸を整えながら、凛太郎さんは僕を叱る。

「なんで、口、離さなかったんだ?」

僕はそれには答えず、逆に言い返す。

「……目、開けてる」

「え? ……あ、ごめ……」

凛太郎さんが、バツが悪そうに自分の顔に手をやる。 それがどうにもおかしくて、僕は思わず吹き出してしまった。

「……ふふ。 これで、おあいこです」

「史……」

凛太郎さんが低くつぶやき、その手が僕の腕を掴んだ。 嫌な予感がした次の瞬間、凛太郎さんの膝の上でうずくまっていた僕は、彼の胸の高さまで引き上げられた。

「な、凛太郎さ……!」

「やっぱり、今からし……」

「……ていっ!」

僕は凛太郎さんの額に向けて、丸めた中指を強く弾かせて、叩きつけた。 いわゆる、デコピン。 叩かれた凛太郎さんは、おおげさに額を押さえてうめいた。

「ふ、み……っ」

「遅刻させない、って言ったでしょう。 ほら、シャワー浴びてきてください。 10分で!」

僕は事務的に言って、ベッドから降りた。 あからさまに不服そうな凛太郎さんの腕をとって引っ張るが、凛太郎さんは動こうとしない。

僕は壁にかかった時計をちらりと見た。 さすがに、もう押し問答している余裕はない。 僕はとびきり甘い声色を作って、凛太郎さんに囁きかけた。

「……続きは、今夜させてあげますから。 いい子だから、ね……?」

……自分でも、とんでもない発言だと思う。

でも、今は凛太郎さんを動かさないといけない。 そのためなら、ある程度の恥ずかしさは、我慢するしかない。

その甲斐あってか、凛太郎さんはしぶしぶベッドから降りてきてくれた。

「……約束だぞ」

凛太郎さんはすれ違いざまに僕の頬にキスをして、ちょっと照れたように笑った。

凛太郎さんを見送ってから、僕はその場にへたり込んだ。 今まで保留にしていた恥ずかしさが、一気に押し寄せてくる。

朝から……何をやっているんだ、僕は。

頭を振って追い出そうとしても、まだ口の中に残る苦味が、現実を突きつけてくる。

ふと、ひとつだけ残されているパジャマのボタンが目に入った。 そっと、それを握り締める。 もしもこのボタンを外されていたら、たぶん、二人揃って遅刻していた。

制服のワイシャツにせよパジャマにせよ、凛太郎さんは僕の着ている服を脱がすのが好きだ。 いつも、とても楽しそうに、上からひとつずつボタンを外していく。

凛太郎さんの方は意識していないだろうけど、僕は……ボタンをひとつ外されるたびに、理性も一緒に外されている気がしていた。

全部のボタンが外されるころには、すっかり理性なんて無くなって、自分の欲望のみに忠実になってしまう。 それは昼も夜も関係なくて、ただただ凛太郎さんを求めてしまう。 昼の間はそれが恥ずかしくてたまらないけど……でも、それが「嫌だ」と感じたことは、一度もない。

さっきも、そうだ。 口を離さなかったのは……凛太郎さんが感じてくれていたのが嬉しくて、その快感を僕にぶつけて欲しかったから。

そんなこと、絶対に言葉には出せない。

凛太郎さんは、昼間の僕があまりそういうことが好きじゃないと思っているフシがある。 それは、ある意味では正しい。 たしかに、そんなに積極的にしたいわけじゃない。

でも、ある意味では間違っている。

……凛太郎さんなら、いくらでも、欲しい。

僕はもう一度頭を振って、自分の頬を勢いよく叩いた。

「……よし。 支度、支度!」

立ち上がって、洗面所へと向かう。 顔を洗って、着替えて、簡単に朝食の用意をして……今からは、『いつもの』僕だ。

今夜、凛太郎さんの手でこのボタンが外されるまでは。

END